戦間期という時代の変わり目、それまでの価値観や世界観が内側から密かに崩れ出す予兆に満ちた社会にあって、同時に個人生活においても人生の転換期をむかえ苦悩していたヘッセは、心理学・精神分析への関心を深め、その後さらに仏教や東洋哲学へ傾倒していくが、この作品にはヘッセのたどったこのような精神的な遍歴が青年シンクレールの自己探求の物語に姿を変えて記されている。
当時の上・中層階級の欺瞞的なブルジョア的、キリスト教的な世界観は、旧弊なだけでなく、荒波のような現実世界に浮かぶ小さなあぶくの様にもろくて空しかった。ヘッセは家庭環境や社会の変動の前にいとも簡単に崩れ去った自分自身の幸福を目前にして、そのような状況に左右されるのではない、常に強く美しい「新たなる理想の青年像」を模索した。
シンクレールが自己の超自我ともみえるデミアンに導かれ、親の世代からの過去の世界観によって抑圧されていた自己を解放し、さまざまな暗示や象徴を手がかりにして無意識の世界に埋もれた「本来の自己」を発見していくプロセスは、精神分析のそれそのものである。一方そうやって見いだした「理想の青年像」は瞑想、「気」、陰陽など、東洋思想の影響を思わせ、輝くばかりの生気とパワーに溢れている。 <高橋氏の訳は現代的な語感が親しみやすく、非常にこなれた訳。ただ、第1章第2段落冒頭は誤訳かなと思う。比較的、文字が大きいので、字の小さいのが苦手な方はよいだろう。(小野ヒデコ)
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だけど私の中では、間違いなくこの「デミアン」がヘッセの代表作です。この本をヘルマン・ヘッセが書いてくれたことを、本当に感謝しています。これまえでに何度も読み、またこれからも読むでしょう。
もし一個の人間として独立しようとして、かつその困難に喘いでいる友人がいたなら、私は迷わずこの本をすすめたいと思います。
しかしそうでない人にとってはピンとこない話かもしれません。
―私は、自分の中からひとりで出てこようとしたところのものを生きてみようと欲したにすぎない。なぜそれがそんなに困難だったのか。
冒頭にあるこの言葉に感じるものがあった人は、ぜひ「デミアン」を読んでみてください。深い、深い共感が待っていることでしょう。
ヘッセの全作品を見渡した時、この作品が前期から後期への橋となっていることは確かです。これはヘッセの作品の過渡期であり、ヘッセの人生の過渡期でもあったのではないでしょうか。
「デミアン」を読んでいると、これを執筆しているヘッセの姿が見えます。名のある文豪が書いた、というよりは悩める一個の人間が懸命に書き上げたという気がするのです。そういう切実な美しさと素晴らしさが「デミアン」にはあります。
万人に参考になるかはわかりませんが、私にとっての「デミアン」はそういう存在で、この作品と著者を敬愛しています。
第一次世界大戦は、それまでの世界秩序に対するヘッセの考え方を根本から揺さぶったのでしょう。キリスト教徒同士の血で血を洗う争いは、ヘッセのキリスト教に対する信心に疑義を投げかけたに違いありません。信仰でないなら、どこに救いを、そして生の軸を求めるのか? 戦中にあって、悩みぬいたヘッセの解答がこの書であるように思います。外にではなく、自己の内に救済を探し、既成の価値観に囚われずに自由に枠の外へと思考を広げよ、そんなメッセージが伝わってきます。硬直的な正邪の二元論ではなく、世界の在りようをそのままに受け容れつつ、自己の生き方を切り拓く意義を語り続けるデミアンの思想は今なお新鮮です。
デミアンは、デーモン、すなわち悪霊にとりつかれたもの、から来ていると作者は語っているようですが、そのキリスト教批判は、当時は相当ラディカルだったと想像するに難くありません。とは言え、やや神秘主義的な東洋哲学に流れながらも、キリスト教の考え方を完全には捨てきれない、そんなヘッセの苦悩が直に伝わってくる、とても歯ごたえのある書物です。また全編を通して、鋭い視点の箴言がちりばめられているので、その意味でも読んで損はない本です。
単なる思春期の少年の葛藤の物語ではなく、既存の世界観にコリン・ウィルソンの言うアウトサイダーとして真剣に対峙したヘッセの葛藤の発露の始まりであり、だからこそ、既に著名な作家であったヘッセが匿名で発表した、この「デミアン」は、第一次大戦後のドイツで若者を中心に圧倒的な支持を得たのでしょう。世界で読みつがれている作品ですが、この本に共感した若者はその後は、元の世界に戻り普通の大人になってしまったのでしょうか。閉塞状況にある世界を徐々にでも変える鍵は、この本に共鳴するアウトサイダーの卵にあるような気がします。
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