本書はデザインに焦点を絞った哲学的エッセイで、机上の空論ではなく日常生活を題材にしているのが特徴。
人間について、「ホモ・サピエンス(知恵人)」よりも「ホモ・ファベル(工作人)」という呼び名に注目し、「製作」という行為を人間のアイデンティティとして認める。
「製作の場」は人間の特徴をよく示す指標であり、かつて人間の「尊厳」と呼ばれていたものにあたる。
そこで著者は、人類史を「製作」の歴史と見なし、「手の時代」「道具の時代」「機械の時代」「装置の時代」に分類する。ここで言う「製作」とは、「所与のものから横領して、それを作り物に転換し、実用向きにして、役立てること」と定義されており、その手段が、手→道具→機械→装置へと推移していくことを指摘。道具は経験的な、機械は力学的な、装置は神経生理学的な、手および体のシミュレーションを指す。
現在はまさに、機械→装置への移行期間(第三の産業革命)であり、装置により「機能すること」という新しい製作の方法が発生しつつある。そこで問題となるのは「人間との関係性」が決定的に変化するということ。さらには、人間と装置を結ぶ遠距離情報通信のネットワーク化により、工場が消滅し(工場の非物質化)、学校が工場化する。
「自然」的道具から「物」的機械を経由し、「情報」的装置へ。現代の人間はホモ・ファベル(工作人)ではなく、ホモ・ルーデンス(遊戯人)であり、われわれは物を所有することにますます関心を失い、情報を消費することに関心を抱いていると、物社会から情報社会(物ならぬモノ)への移行にある種の居心地悪さを感じながらも、未来を担う基礎概念「プログラム」への展望を見据えつつ本書は締めくくられる。
個人的には著者の言う、生きていく上での拠り所としての「物」の重要性は実感している。自分が所有する物に囲まれた生活するという居心地の良さ、そこに住まいの本質があるのでは?とまで思えてしまう。そう考えると、自分のアイデンティティが所有する物にあるというようで思いとどまってしまうが、形ある物から情報へと移行しつつある状況で、その居心地の良さはどこに移行するのだろうか?テレビCMのように「繋がっている」ということ?その繋がり方が問題か・・・