本書に一貫しているのも、デザインにとって最も基本的で、かつ最も困難なこの問いである。現場の第一線で活躍する現役デザイナーである著者は、最初に基本的なデザイン史をひと通りおさらいした後、「無印良品」や本の装丁、あるいは長野五輪や愛知万博など自らが関与した多くのプロジェクトへの取り組みを回想する一方、四角いトイレットペーパー、ロール型のゴキブリホイホイ、落ちている木に発火剤を塗布したマッチなど、ユニークなデザイン例の紹介にも多くのページを費やしている。特に著者が「リ・デザイン」と呼ぶ後者のさまざまな事例は、何の変哲もない日用品のスタイリングにちょっとした工夫を加えて意外な効果を引き出したものばかりであり、デザイン本来のあり方を再考するうえで格好のきっかけを提供してくれている。
本書の末尾において、著者は「コミュニケーション・デザイン」「ヴィジュアル・コミュニケーション」「グラフィックデザイン」という3つのキーワードを提示し、自らの職能やその社会的役割をこの3者の関係性のなかに見いだそうとしている。「デザインのデザイン」という人を食ったようなタイトルは、いかにも現代的なその試行錯誤の名前でもある。文体は軽妙洒脱だが、かといって本書の問いかけが軽いわけでは決してない。(暮沢剛巳) --このテキストは、 単行本 版に関連付けられています。
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特に良いと思ったところは、日本においては「市場のクオリティが低い」という項目です。市場に迎合する商品を出すとどんどん民度が下がり、下がった民度に迎合するとますます商品の文化性がなくなる・・・
ヨーロッパでなぜコンビニがうまく行かないのか?の答えがこれでした。
市場を捉え、いかに競争に勝つか、という視点でモノを考え続けてきた自分にとって、原氏の提唱する「市場を教育する」という視点には正直脱帽です。
本書を読んでいて、2つの視点が、とても刺激的だった。ひとつは、日本のデザインについて、もし「イケテナイ」のだとすれば、それはマーケティングの対象となっている「私」が、「イケテナイ」からだというもの。もうひとつは、「日本的」であることは、確かに「空っぽさ」に集約されるのかもしれない。そして、その「空っぽさ」こそが、モダンであり、大量生産の時代だからこそ逆説的に、「空っぽさ」にはセンスが求められる、というものだ。そのことを具現化したのが「無印良品」に他ならないということがよく分かった。
さて、この本を読んで、どのように生きていこうかしら?でも、きっといつもより少し気持ちよく街を歩けそう。きっと、この本を読んだあなたもそうなる気がします。
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