上野修によるこの『デカルト、ホッブズ、スピノザ 哲学する十七世紀』という書物は、タイトルに「デカルト、ホッブス、スピノザ」とあるが、デカルトとホッブズはおまけであり、「スピノザ本」と割り切ったほうがよいと思う。
本書は九つの章より成る。すなわち
第一章 残りの者―あるいはホッブズ契約説のパラドックスとスピノザ
第二章 遺志・徴そして事後―ホッブズの意志論
第三章 スピノザと敬虔の文法―『神学政治論』の「普遍的信仰の教義」をめぐって
第四章 スピノザの聖書解説―神学と哲学の分離と一致
第五章 われらに似たるもの―スピノザによる想像的自我およびその分身と欲望
第六章 精神の眼は論証そのもの―スピノザ『エチカ』における享楽と論証
第七章 デカルトにおける物体の概念
第八章 無数に異なる同じもの―スピノザの実体論
第九章 スピノザの今日、声の彼方へ
である。
いかがであろうか。デカルト単体、ホッブズ単体で扱われているのは九章中ふたつの章だけであり、残りはすべてスピノザにかかわるものである。
しかし本書で上野修が展開しているスピノザ論が易しいものかと言えば、そうでもない。いずれも専門性の高い「お硬い」学術誌に寄せられた歴とした論文である。「噛み砕かれた」ものではなく「噛み応えのある」ものである。九本の独立した論文から構成されているために、少しばらつきが感じられるかもしれないが、文庫版刊行に当たり、若干の加筆・修正がなされたらしいよ。
また上野氏のスピノザ解釈であるが、どちらかと言えば「あたらしい」ものであり、ドゥルーズ、ラカンなどといったいわゆる「現代思想」の論説がかなり参照・援用されている。ドゥルーズは哲学史家として『スピノザと表現の問題』や『スピノザ―実践の哲学』を著している。また「Spinoza : immortalite et eternitte」というドゥルーズの講義を録音した二枚組みのCDもある。他にレオ・シュトラウスやメラニー・クラインの名前も散見される。
本書は、スピノザの『エチカ』や『神学政治論』を読解するための副読書としては「帯に短し襷に長し」といった感じであり、入門書としては「やや難」のレヴェルである。巻末に〔注〕が附されてはいるが、一般読者の理解を助けうるものでは、決して無い、プロ仕様のものである。
しかし著者の上野氏は、基本的に、かようなヤヤコシイ本を書くような先生ではなく、どちらかと言えば、むしろ、クリアカットな本を書かせたら実に巧い人である。例えば上野著『スピノザ―「無神論者」は宗教を肯定できるか』や『スピノザの世界―神あるいは自然』などは、スピノザ解釈のアンチョコ本としては大変よく出来ている。前者はあまりにも簡単に淡白に書かれすぎているために肩透かしを喰らうかもしれないが、後者は「いい仕事してますね」といった感じの良書であり、「さすがは講談社現代新書であるなあ」と感嘆してしまうほどの出来栄えである。
本書は、『エチカ』などのスピノザの主著や他の「上野スピノザ本」を読むなどして、ある程度スピノザの思想を理解した上で読んだほうがよりいっそう楽しめるものではないだろうか。