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この本では結成されたチームの真実とドイツ占領下のキエフと収容所での様子が生々しく描かれていて、ナチスドイツのウクライナでの所業の
ひどさは戦前はキエフの人口は40万人を超えていたのに、戦闘が終結したとき生き残っていた市民がわずか8万人ということからもわかる。
実際はどうだったかというと、1941年、キエフをナチスが占領した際に、一兵卒として戦っていたディナモキエフの選手たちは、ズダボロの状態にあった、と。それを見かねたある工場長が、寝る場所と練習できる中庭を与え、キャプテンだったキーパーのトゥルセヴッチを中心に選手が集まりだし、ライバルのロコモティブなどの選手も加わった「FC スタート」というチームを結成。1942年夏、ナチスが住民懐柔のために行った、ウクライナの民族主義者のチーム(親ナチス)との親善試合に快勝しただけでなく、やがてハンガリーやドイツ軍のチームも破ってしまい、占領に苦しむウクライナの人々は熱狂。アーリア民族の優秀性を見せつけなければ、とあせったナチス側は空軍チーム「フラッケルフ」を呼んでくるが、これも5-1で圧勝。
そして、3日後の8月9日にリベンジマッチとして行われたのが「死の試合」だった。
ナチス側は審判にSSを起用し「ハイル・ヒトラー」をするよう強要するが、ディナモたちは拒否。ハーフタイムには、またドイツ人がやってきて「皆さんは勝つことが許されないことを理解せねばなりません」と説得するが、それも拒否。大量点でドイツを辱めることはしなかったものの、5-3で勝利してしまう。その後、FCスタートはもう一試合を許されるが、やがてSSはディナモたちを逮捕し、死の収容所に送り、4人が殺された、というのが真相のようだ。
ディナモに栄光あれ!
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