1989年の手塚治虫の死と符合するようにささやかれはじめた「マンガがつまらなくなった」言説。“ゲームやケータイの登場でマンガの相対的価値が下がったから”、“ジャンルが細分化して全体を見通せなくなったから”、なんて理屈付けも出来るけど、それだけじゃどうにも腑に落ちない、とにかくこのままじゃヤバイ!っていうのが著者の問題意識。
で、マンガあるいはマンガ言説が停滞してるかに見える要因はどうやら“偉大なるテヅカ”にあるんじゃないか、ってのが著者の見立てだ。“偉大なるテヅカ”を一旦御破算にしないとマンガはこの先進めないっていう危機意識。映画でも文学でもない、マンガ独自の自律的な表現システムの要として著者は「キャラ」という概念を挙げる。テヅカが(もちろん本意ではなく)、自律性、リアリティを本来的に持つ「キャラ」を隠蔽することで、戦後まんが史がスタートしてしまったことを、著者は丁寧に検証していく。戦前、戦中と戦後のまんが表現史を図らずも切断してしまったのが“偉大なるテヅカ”であるって文脈は、大塚英志の近著「『ジャパニメーション』はなぜ敗れるか」にも重なってくる。
門外漢からすると、マンガ表現論の各論、ディテールはちょっと退屈だけど、全体の論旨はとっても刺激的。
逆にさらに突っ込んだ論議を期待するむきには、本書を起点として各論が展開されている「ユリイカ 」2006年1月号「特集 マンガ批評の最前線」を読むべし。