パゾリーニ作品は60年代後半(王女メディア含む)がもっとも神懸り的な輝きを見せていると思う。
この時期は毎年新作を発表する多作ぶりながらハズレがない。
(残念ながら70年代は『ソドムの市』にしても『生の三部作』にしても‘60年代に比べれば’失速していると思う)
本作『テオレマ』は次作の『豚小屋』(特に現代編)とあわせて観ると興味深い。ニ作品にはいくつかの共通点を見つけられると思う。
最大の共通点は、ブルジョワ(≒現代のファシズム)の崩壊(あるいは腐敗)を扱っていること。
そのテーマは‘裏返った形’で怪作『ソドムの市』にも繋がっているように思う。
本作の粗筋自体は単純だ。
『ブルジョア一家に不思議な美青年が入り込み全員と性的関係を持ったあとで去る。その後一家は崩壊する。一人を除いて。』
といったもの。(だが、…観終わって‘意味’がわからず「???」な私。)
パゾリーニ作品と‘寓意’は切り離せないものとよく言われる。
ブルジョワジーや家族制度への批判や挑発を‘寓話的’に描いたという…。なるほどという感じでもあるが、私は今でも1/3も理解できていないように感じている。
その点(寓意を)、『豚小屋』とあわせてみると理解しやすい部分もあると思うし興味深い。
もう一つの共通点は、有名俳優を多く起用していること。
パゾリーニ作品は素人(に近い人も含める)を多く起用する傾向があるが、『豚小屋』と『テオレマ』は例外的といえる。特に『テオレマ』はパゾリーニ全作品のなかでもっとも有名俳優が多く出ている。『テオレマ』の登場人物は複雑な表現が必要で素人では難しいと思われる。それでこの配役となったのかもしれない。
その結果、すばらしくセクシャルなシルヴァーナ・マンガーノとテレンス・スタンプを観ることができる。こういった俳優の力が目立っていることもあり、いつものパゾリーニ作品(←素人に近い役者が多く表現の仕方も素朴だ)とはいくらか違ったテイストになっていると感じる。
他の作品よりも(ある意味直截的にも)政治的なテーマを扱っており‘俳優の力’が必要だったのかもしれない。
こんな共通点を意識しながら『豚小屋』とあわせて読み解くこともひとつの楽しみだと思う。
ただ…
理解しきれない(アホな)私にとっては、緊張感と謎に満ちた不思議な登場人物…不思議な出来事。コレだけでも十分惹きつけられる。(幼稚な感想だが…)