「万物は人間の尺度である」としたプロタゴラスの説は、例えばあるものの色が甲にとっては黒く、乙にとっては白くといった事態を認める。つまり、そのものの色それ自体が「ある」とは考えられず、見られるものと見る者との関係性の中で相応の色に「なる」のだ。これは「万物は流動的なもの」とするヘラクレイトスやエムペドクレスらの説を踏襲するものだが、「万物が一にして不動」と捉えるパルメニデスの説より彼らの主張の方が当時むしろ支持されていたようである。本書がまず問題に置くのは、それが「感覚即知識」という仮定を果たして通用させるか否かという点である。
ところで、現在も似たような話を耳にすることがある。「価値観」は人それぞれ異なるゆえに、ある人にとっての正しさは、別の人にとって不正となり得るといったのがそれだ。こう考えるのは、「価値観」をむしろ「価値感」として捉えているからなのかもしれない。つまり、ものの価値は相対的なもので、あるものに対して善と「感じ」られれば善に、悪と「感じ」られれば悪と「なる」という風にして、それぞれの感覚をそのまま知識としているというわけである。
「感覚即知識」という仮定に対する考察は、実は本書全体の半分を占めている。本書では具体的に言及されないが、個物そのものの自体性を示すイデアの存在を考える上では、この仮定は深く吟味される必要があるのだ。本書はそこからイデア論へと接続していく途上にあるように思われる。