この映画、簡単に言えば「どうしようもない不良が徐々に人間らしさを取り戻していく」という話なのですが、単純な感動お涙頂戴ストーリーではありません。
アパルトヘイトが無くなった南アフリカでは、以前の人種差別以上に複雑な格差社会が訪れ、黒人の中にも絶望的なまでの階層の違いが生まれてしまいます。主人公の名も無き少年、通称ツォツィ(不良)はそんな社会の底辺で、暴力と犯罪だけを生きる手段とする札付きのワルで通っています。そんな彼が、強盗で襲った相手の赤ん坊を成り行きで誘拐してしまうことから彼の人生は思わぬ方向に進んでいくのです。
実はこの主人公、最初から不良なんかではありません。仲間に対して、暴力以外で気持ちを伝えられなかったり、赤ん坊に対して濃縮ミルクを無理やり飲ませようとしたり、感謝の代償を盗みで賄おうとしたりと、彼は単純に「正しい手段」を知らないだけの哀れな子供であり、最初から最後まで真の悪党だったことは無いのです。そういう意味で、この映画は決して「更正」の映画ではありません。
自分とはまた違う、辛い境遇の人たちとの交流の中で、彼は少しずつ、少しずつ今までとは違う世界を知っていきます。ドラム缶で生活していた子供は、いつのまにか自分だけの世界を持つようになり、さらに色々な出会いを通じ、殻を破って大人になっていく・・・。誰にでもある成長のワンシーンを、南アフリカで切り取ってみたら、こんな映画ができた。それ以上でもそれ以下でもない気がします。
だからこそ、人生を等身大で映すこの映画に私は惹かれます。人は互いに干渉しあわないと生きていけません。その過程で他人を傷つけることもあります。そして、人生がかならず幸せ一色とも限りません。ラストでようやく見つけた主人公の答えに、私は少なからず共感するものがありました。