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ツァラトゥストラ (中公文庫)
 
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ツァラトゥストラ (中公文庫) [文庫]

ニーチェ , 手塚 富雄
5つ星のうち 4.3  レビューをすべて見る (7件のカスタマーレビュー)
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登録情報

  • 文庫: 601ページ
  • 出版社: 中央公論新社 (1973/06)
  • ISBN-10: 4122000106
  • ISBN-13: 978-4122000100
  • 発売日: 1973/06
  • 商品の寸法: 15 x 10.6 x 2.8 cm
  • おすすめ度: 5つ星のうち 4.3  レビューをすべて見る (7件のカスタマーレビュー)
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31 人中、29人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
この本の数ある翻訳の中でも、日本語としていちばん風格ある文章に訳されているのがこの手塚訳でしょう。反面、ドイツ語原文に対する理解としては、これでいいのかな、と疑問に思う箇所も、若干みられます。文学系の翻訳にしばしばあることですが、原文に徹底的に忠実であるよりも、日本語として読みやすく、強い印象を与える訳文を作ることの方を優先した翻訳だといっていいでしょう。それはそれで十分に理由のある翻訳態度ではありますが、読者がそれを読んで「だからニーチェは……」と論じていいのかどうか、というのは難しい問題ですね。ニーチェではなく、手塚氏の思想を読んでいる箇所があるということを、読者は意識しておく必要があるんじゃないでしょうか。もちろん、そういう箇所は若干あるということであって、全般的には優れた翻訳だとは思いますが。2冊本になることの多いこの本を、1冊にまとめてくれてあるところも気に入っています。

末尾に、恐ろしく小さい文字で簡潔な訳注がついていますが、私個人としてはこれは、あんまり参考にならないと思っています。
このレビューは参考になりましたか?
3 人中、3人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
ツァラストラは西洋哲学史上、類比のない外すことのできない、大変重要な著作ですが、それだけ難解でまず初読者には理解が困難なので理解の足しになるよう、以下、簡単な解説を書いてみます。
絞って考えれば、有名であり、他の著作でも繰り返し述べられているとはいえ、一冊で全てまとまっている、以下の三点でしょう。
神の死。超人。永劫回帰。
神の死ですが、字面と違い、これは現実の教会や宗教をアヘンだ、民衆をたぶらかしていると批判しているわけではありません。
むしろ、来世は無いんだ、その代わり、人間は天国の代わりに内面持ち、近代的理性で処していき己をそして他者を支配していかねばならないといった、
キリスト教の禁欲主義的理想を密輸入し、そして修道院の代わりに人間の内面に踏み込み支配する、近代哲学とそれに伴う諸制度、社会の現実こそ批判しています。
フーコーが神の死と人間の終焉は同じことだと、言いましたが、それはニーチェからきており、神の死はこの著作見ればわかるように、末人、おしまいの人間たちとの戦いと切り離せません。

超人ですが、これも誤解されています。
本書で描かれる、「汝なすべし」と「我は欲する」の対立を考えてみましょう。
人をよりよく生かすため、より幸福な社会を目指すためといった理由の元に今日も大量殺りくや恐怖政治が行われています。
前例のない大規模戦争も粛清も大量虐殺も、人民主権の現代でしか可能じゃありません。善意こそが地獄の道を開きます。
支配者の私利私欲のために好きなだけ搾り取るなどでは、そんなことはできません。
かつては来世で罰を受けるからと人は善悪を受け入れました。ツァラトゥストラの駱駝です。実際は為政者の都合ですが。
「汝なすべし」の長い権力による歴史があるのです。そして、それが微妙に理由を正当化しごまかし切り替わった歴史も。
ツァラトゥストラの獅子になるにはどうするか。
奴隷は支配者をうらやましいと思い、ただ自分が弱い貧しいのを不当と思い、差異を圧殺して反動的支配意志をたぎらせて、復讐を狙う、反動と、
良きものが楽しい生をよりよい可能性の追求を通じて差異を実現する、能動を戯画的に区別して、
ニーチェは反動的意志では結局おしまいの人間とその暗欝な支配、消滅を、更には生権力の反動しか生まないと見ます。
結局は反動的諸価値こそが、大量虐殺をその権力機構を支えているのですから。
従来の価値をなぞってただ平等やルサンチマンの解消をだけ求める反動的諸価値の再現求めるおしまいの人間を乗り越える、
新しい価値を自分たちで作り、旧来の宗教の与えた天上偽物の価値の延長上とは違う、今まで顧みられなかった、
新しい身体や欲望に基づく価値を作り、そこに踏みとどまれる人間が超人です。
超人はクラーク・ケントでも、ナルシステックな金髪の民族主義者の夢想、自己正当化でもありません。 ナチズムみたいなものは、旧来の諸価値の延長線上にしかない、反動のもっともたるものです。

永劫回帰。
では、その反動を避けて、能動を実現するにはどうすればいいでしょうか。
(古代ストア派なども同じようなことを考えていましたから、クリュシッポスの著作なども参考にしてもらいたいです)
直線的進化としての終点としての神。そういう時間の枠がなくなれば、まず、世界の外で観測し評価づける神がなくなれば、
現世の自分たちで生み出せる価値の中でしか考えられなくなります。
更に、それを永遠に無限に繰り返すとなれば、自分たちの今ここの生から逃れるわけにはいかず、価値のあるものと認めるしかありません。
その外での評価するものさし、神のまなざしはありませんから。
嫌がって拒絶しようが、そこにしかわれわれはなく、それを評価し肯定し、その中で最善をつくすしかない。それを何万回でもおのずと求め訴えるものにしていくしかない。
従来の反動的な、この世とは離れた、天上の価値を否定する、地上のどこにも逃れられないで永遠に回帰する地上の新しい価値創造とそれを担えるもの。超人です。
駱駝から獅子、獅子から赤子。生成の無垢へと。
本書で各自あたってみてください。

一応、これで三点のつながり、おおまかな理解は間違いがないかと思います。ニーチェの他の著作読むときも押さえておいてください。
では、以下問題点を。能動、反動と言っても、頭の中や単なる個人がひねり出せるものでは、ありません。
私と他者は切り離せず、能動も反動も単なる個人の枠内で判定できるものでもないし、人間は社会的動物で、ある人間の行為が能動的なのか、反動的なのか。たやすく判定できないのも決定できないのも当たり前です。
結局、能動と言っても、反動からのネガとしか言えず、ポジティヴに語る時、それは論者の都合によりエゴイスティックにナルシスティックに語る、
別な一種の反動でしかありえません。原理的に。
ニーチェの(あるいはスピノザの)著作の字面だけおって、一貫性あるシステムとして完結しているものを取り出そうとすると、
ジル・ドゥルーズのニーチェ論のようになってしまい、差異哲学、差異を追求し、その果てに違う生の可能性を追っていけば悦ばしき知識にたどりつくという、
あるいは、能動をあたかも他者から切り離してナルシスティックに自己実現できるかに語る、
戯画的ニーチェ像になってしまいますが、それはニーチェの可能性を潰すつまらない試みだと思います。
むしろ、当時の状況の中で、人間学や近代の諸権力にゲリラ的に戦いを仕掛けるその勘と冴え、度胸にこそ見るべきものがあると思います。
このレビューは参考になりましたか?
60 人中、36人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
ニーチェは専門家たちには余り評判がよくないらしい。論理的な飛躍があり、矛盾したことも平気で語っている、というのだ。だから解釈も実に多様だ。ヒトラーの誤読もあったし、「神を殺した」筈の彼の思想をバネにして、キリスト教を立ち直らせようとする動きもあった。ーー解釈が多様だというのは文学作品ならむしろ好ましいことなのかもしれない。だが、理論的な思考がこうであっては困る。数式に答えが複数あったりしたら、これはもう数学ではない。だから本当にニーチェには、哲学者としては致命的な欠点があるのかもしれない。

でも、ニーチェは詩人でもあった。というより、私は彼が論理的なものを軽視したとは思わないが、彼はそれ以上に詩人だったのだと思う。「ツァラトゥストラ」などはまさに詩人の手になるものだ。「超人」だの「運命愛」だのなかなかのキャッチコピーだし、ちょっと劇画調すぎてこちらが気恥ずかしくなるくらい。

専門の哲学者たちはともかく、ニーチェの文学者たちからの受けはいい。これは文学書ではない、とわざわざ註を入れて「ツァラトゥストラ」を必読書に挙げている文学者の数は知れない。
「ツァラトゥストラ」は文学書として読んで一向に構わないと思う。それに、--こんなことを書くと怒られそうだが、ニーチェほど読みやすい哲学者はいない。

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