ジャズは ”人” を聴く音楽であると言われる。楽器の音色、リズム、メロディ…等々、ジャズマン個々が持つ独自の ”声” を楽しむことが結局ジャズを楽しむことだ、と。だから人との付き合いと一緒で、少し付き合ったくらいではその人間がどういう人かどうかはわからない。ある時間付き合って初めてその「人となり」がわかってくる。ジャズという音楽も一緒だ、とわかるまで随分時間がかかった。
“声” とは演奏スタイルや、もっと広くその人の生き方につながるものであろう。そこから天才と呼ばれるようなジャズ・プレイヤーのことを考えると、チャーリー・パーカーはやはり別だ、と言わざるを得ない。パウエル、モンク、マイルスなどモダン・ジャズ以降の天才や巨人たちからは、その ”声” が私ごとき素人にも聞こえてくる。しかしパーカーからはそのようなものは聞こえない。バド・パウエルやマイルスからは、いくら破綻した生活を送ったことがあったにしても、彼らの音楽と人格の融合のようなものを感じ取ることができる。しかしパーカーの場合、伝記を読んだり、映画を見たりしても、その演奏と人間としてのパーカーの人格とがイメージとして結びつかない。
多くの人が同じようなことを言っている。つまりパーカーの音楽は難しいが何度も繰り返し聴いているうちに、ある時、突然閃くようにして「わかる」というものだ。実は私も全く同じ経験をしている。昔カセットテープに入れたパーカーの演奏を毎晩寝る前にフトンの中で聴いていたら、ある晩、それまでよくわからなかったあのめくるめくようなアドリブラインが、突如素晴らしい音の連続になっていることに気づいて愕然としたのだ。しかし、何度も聴くうちに、それは他のジャズを聴いたときに感じる普通のジャズ的快感とはまるで別種のものであると感じるようになった。つまりそこに人間を感じない、むしろ人の世界を超えた何かを感じるのである。60年以上前にこんな演奏が…と想像しただけで唖然とする類のものだ。つまりパーカーは神棚に…とは言わないが、やはり“紙一重”であちらの世界の人だったのだ、というのが私の感想だ。つまり本当の天才だった。だから一度ハマるとその音楽に呪縛される人もいるだろう。
このダイアル盤Vol.2は、昔出ていた「Bird Symbols」というパーカー入門用の名コンピレーション・アルバムの元音源であり、パーカーの中でも聴きやすい演奏を中心に収められたものだ。中でも”Embraceable You”、”My Old Flame”などは、若きマイルスやデューク・ジョーダンと共にこれ以上ないと思われる美しいバラード演奏で、今でもたまに聴くが、それすらこの世のものとは思えないな、と時々感じることがある。