1960年の演奏ですから、もう半世紀前になります。LPレコードの頃から、このエフゲニー・ムラヴィンスキーによるチャイコフスキーは名盤、名演奏と言われており、当方もずっとレコードで愛聴してきました。
このムラヴィンスキーのCDを購入していなかったので、本当に久しぶりの再会を果たしましたが、演奏から受ける感覚は全く古くなっていません。というより圧倒的な名演奏だということを再確認しました。
名演奏は21世紀になっても不滅でした。特に第4番の素晴らしさは格別でした。ゲルギエフもバーンスタインもカラヤンも凌駕したムラヴィンスキーがここにいました。手兵レニングラード・フィルだからこそ生まれた名演奏です。
第4番の第4楽章の疾走感と迫力はどうでしょう。金管楽器の咆哮は凄まじく、突き刺すような音色は悲壮感に溢れ、人生の厳しさを感じさせるものでした。打楽器はこれでもかと打ち鳴らし、幸せでなかったチャイコフスキーの結婚生活を象徴しているかのようです。レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団の弦は、ムラヴィンスキーの棒に食らいつき、信じられないくらいに熱い演奏が伝わってきます。指揮者のカリスマ性を如実に感じますし、破綻寸前の美というのでしょうか、本当に空中分解寸前の極限までオーケストラを鳴らし、掌握した指揮者の素晴らしさを感じました。
ステレオ初期の録音ですが、これも素晴らしいですね。音響に定評のあるロンドンのウェンブリー・タウン・ホールで、1960年9月14日と15日に録音されたものです。当時のドイツ・グラモフォンの録音技術の確かさは、第3楽章の弦のピチカート部分の分離に表れていました。
第5番は、1960年11月9と10日にウィーンのムジークフェラインザールで録音したものです。
この第5番は「運命交響曲」とも言われており、これまで数多の名演奏が収録されてきました。その中でこの演奏がピカ一だとは思えませんが、実に堂々とした風格のあるものでやはり名盤の誉れの高さは感じられます。個人的にはゲルギエフとウィーンフィルのライヴを評価しています。
各楽章で聴くことの出来る重い主題こそ、作曲当時のチャイコフスキーの鬱々とした気分を表わしているようです。この翳りと華やかさが同居しているところが、彼の音楽の素晴らしさなのでしょう。夢と現実の狭間での人間の苦しみや悩みが、音楽から如実に浮かび上がり感じとることができます。
ここでも第4番同様の熱狂的な演奏が続きます。母国ロシア音楽特有のどこか暗く厳しい音楽をダイナミックに表現していました。
哀愁に満ちた第2楽章のテーマを聴くたびに美しい旋律とハーモニーを創り出したチャイコフスキーに拍手を送りたい気分になります。何時聴いてもうっとりとするようなロマンティックな部分の美しさは、他にない夢のような気分をもたらしてくれます。レニングラード・フィルの夢心地を壊すような激しさとのダイナミックの幅がまた素晴らしいと思いました。これはレコード時代から感じてきたことですが、木管楽器への集音が近く感じ、旋律線が強調されていますが、これもこの録音の個性だと捉えています。
第3楽章のワルツも壮大な展開を示しています。また怒涛のように進行する第4楽章は、この演奏の白眉ともいえるものでしょう。特に弦の疾走感は格別です。よく棒について行っているのが分かる演奏でした。ロシア音楽特有のどこか暗く厳しい音楽を、ダイナミックに表現する様からは、この交響曲数多く振ったムラヴィンスキーの風格が感じられました。
第6番は、1960年11月7日から9日にかけて、第5番同様ムジークフェラインザールで録音したものです。
この「悲愴」は多くの方が様々な面から語っていますが、人生の哀しみと希望を音楽の中に主題として持ちこんだ交響曲です。暗い情感を持った第1楽章と第4楽章はよく聴かれますし、この交響曲の真髄でもあります。一方、第2楽章での5拍子という変拍子は,2拍子+3拍子が合わさったもので,少し不安定な感じする拍子の設定によって人生の危うさや振幅の揺れを感じさせるものだと理解しています。
第3楽章は、スケルツォと行進曲の反復なのですが、この勇ましさの後に、第4楽章が控えているわけでその落差は激しさがまた魅力となって伝わってきます。
ムラヴィンスキーの得意とするチャイコフスキーですし、これまで50年間ずっと発売し続けられてきたのは伊達ではありません。演奏内容の確かさがそれを証明しています。どの楽章も素晴らしいですが、個人的には第1楽章後半部分の押し寄せるような演奏の激しさと金管楽器の荒々しさから、他の指揮者にはないものを感じています。
ムラヴィンスキーの演奏では第4楽章に流れる「悲しみ」の感情が胸を打ちます。大げさな表現は影を潜め、真摯に曲と向き合う指揮者とオーケストラがここにいました。
フォン・メック夫人への思慕、アントニーナ・イヴァノヴナ・ミリュコーヴァとの不幸な結婚と破綻など、実に人間くさい生き様をした大作曲家の畢竟の交響曲です。スコアに書かれている音楽からそのような感情を描き出せた演奏のみ後世に残って行くのだと思います。チェイコフスキーが「悲愴」の初演指揮の数日後に急死したことと合わせていつもこの曲に込められた思いを聴き取るようにしています。