チェーザレが司教として列席する降誕祭でのミサが丁寧に描かれ、その場の雰囲気がよく分かる。「主よ あわれみたまえ」という聖歌の一節が、さまざまな場所で、さまざまな人の下でリフレインする。ミサの、キリスト教徒にとっての重さと同時に、ユダヤ人、マラーノ(ユダヤ教を偽装棄教し表面上キリスト教徒となったユダヤ人)の問題という日本人にとっては見過ごしがちな部分も暗示されている。この問題がどこまで深められ、どんな形で描かれるか興味深い。
当時のヨーロッパにとって、キリスト教が精神的にどれほどの重さを持つものかを描いた後に、作者は、「カノッサの屈辱」を頂点とする、皇帝と教皇の闘争の意味を読者に知らしめる。
チェーザレは、ピサの聖堂の中に眠る皇帝ハインリヒVII世の墓の意味を知ることを望み、統治とは皇帝と教皇の二元論であるべきか、はたまた一元論でなければならないかを、深く問うことになる。そして思わず言う、「教皇派を叩き潰せ」と。
本巻では、チェーザレが後の行動を通して、真に何を望んだのかが明らかにされている。歴史上の事実を描くという地味な展開であるが、この巻は、後の展開を深く理解するための鍵を与えてくれるものだろう。