私はチェリビダッケの信奉者ですが、彼の実演を聴いたことがありません。この演奏もサントリー・ホールでのライブですから、当然聴衆の多くは日本人であったはずで、その方たちへの羨望の念を禁じえません。チェリビダッケの実演に立ち会った経験は、その一人一人にとって、「一生の財産」とも云うべきものであろうと想像されるからです。
しかし一方で私は、自分が彼の生演奏を知らないことでかえって良かったのではないか、と思うこともあるのです。CD とは関係無いのですが先ずそれを説明させて下さい。
私にも、「生涯忘れえぬ」コンサートの経験があります。それは、1995年9月28日にこれもサントリー・ホールで行われたアルフレート・ブレンデルによる、ベートーヴェンの最後の3つのソナタの演奏です。私は、後にも先にもピアノ一台で(如何にそれが現代のスタインウェイのコンサート・グランドによるものであるにせよ)あの巨大なサントリー・ホールを音楽で一杯にした演奏を知りません。私とピアノとは恐らく20メートル位離れていたのですが、ピアニシモがまるで耳元で鳴らされていたかのように思い出されるのです。ところがその後、当夜の演奏と非常に近い解釈で弾かれたと思われる彼のベートーヴェン・ピアノソナタの新録音による CD (Philips 446 701-2) を聞いて愕然としました。少し大げさに云いますと、ヨーロッパでゴチック様式の大聖堂を実際に目の当たりにしてその威容に圧倒された後で、まるで絵葉書か何かを見せられたような感じなのでした。決して不出来であるはずは無い CD であるにも関わらず、その後、私はその CD は殆ど聞いていません。このような訳で、必ずやその響きに圧倒され、打ちのめされたような思いに駆られたであろうチェリビダッケの(例えばこの)コンサートを生で聴いていたならば、私はこのディスクを身辺から遠ざけてしまったのではないか、と思われるのです。(余談ですが、日本人でチェリビダッケの実演に最も多く触れている一人と思われる評論家の許光俊氏が、著書の中で録音に対して冷淡な態度を取っているのも、こういったことと関係があるのではないでしょうか。)日本で演奏され、日本のレーベルから販売されたこの CD を聴き、録音とはいえども、その演奏を「体験」できたならば、このディスクは、現実のコンサート経験に劣らない「生涯の財産」と成るのではないでしょうか。それに、実際のコンサートを聞いても、何一つ理解できないままに終わってしまう気の毒な人も世間にはいるようですから。(チェリビダッケのディスク・レヴューアーの中にも。)
そこで、本 CD を前にして聴こうかどうしようか思案されている方がいらっしゃたら、是非買って聴いて下さいと申し上げます。(EMI盤の方も是非。)このCD は例外のようですが、チェリビダッケの他のディスク・レヴューの中には、彼をまるで神の如くに扱った文章がよく見られます。恐らく「チェリビダッケ体験」をした人同士でしか通じないのかもしれませんが、私には、そうした彼を神格化した表現は全て真実である、と感じられます。自分たちがさも何か「特別の人間」であるかのように書いてしまって、すみません。しかし、チェリビダッケとは、まさにそのように言う他は無い指揮者なのです。私がいまさらながら、それにもう一つの駄文を付け加えようと考えたのは、このディスクだけが、何か例外的に冷たい扱いを受けているように見えたからです。この CD で是非「あなたのチェリビダッケ」と出会って下さい。
最後に差し出がましいようですが、オーディオについて少し言わせて下さい。このディスクは、大きな音で聴いて頂きたいのです。まさかそんな人は少ないでしょうが、ミニ・コンポに毛が生えたようなオーディオでチェリビダッケのディスクを鑑賞しようとしてもそれは無理です。あなたのオーディオはアンプのヴォリュームを12時よりも進めた位置で聴けますか?チャチなスピーカーを大音量で鳴らすと、音がひしゃげてしまって、「音楽」は聴けません。(もし可能であれば、グラフィック・イコライザーを使って、部屋の音響特性との間のバランスを調整することをお勧めします。)是非とも大音量で聴いて下さい。貴方の部屋が、他の指揮者の演奏からはついぞ聴こえてきたことの無い、実に信じられないような響きで満たされることでしょう。