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チェチェン戦争に対する自国ロシアの責任を沈黙する世界に向かって問い続けてきた彼女は、自身幾度も死に攫われかけながらも(実際プーチンは「我々にとって危険なのはテロリストではなく、ジャーナリストだ。彼らを殲滅するべきだ」とラジオで発言したことがある)「私以外にここで起きていることを語る人はいない」という決意のもと、他者への無関心によって利己的な平和を享受しようとする人々に対して「少しずつ死んでいる」というチェチェン市民の日常化した悲劇と絶望を代弁していく。「モスクワがチェチェンに求めているのはただひとつ、無秩序を維持すること。混乱は儲けにとっては好都合だ、管理された混乱ほどより多くの配当をもたらすものはない」と指摘する彼女の眼は、だがチェチェン武装勢力の大義を理想化することも同様に許さない。
本書を読んでいる間にも、北オセアチア共和国でチェチェン絡みの人質事件が発生し、日本のメディアはロシアのチェチェン占領に目をつむりながら彼らの学校占拠を声高に報じ始めた。一方のチェチェンでは何十万人もの市民がロシア軍の人質となっているのだが、それはそれ。「テロとの戦い」に必要なのは、占領というテロの温床から可能な限り人々の目を逸らしていることだ。そうでなければ私たちは彼らをテロリストと呼べないから。彼らを差別し、抑圧し、それを「正義」だと信じ続けることができないから。
「国益優先で、慈悲心という言葉が制度からだんだん締め出されている現実をすでに私たちは目にしているではないか。権力は自国民に対して残虐さに基づいた行動原理を与えようとしている」。彼女の警句が現実化しているのは、もうロシアだけではない。
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