ダンボールハウスはどうしてこうも魅力的なんだろう。通勤電車で多摩川を渡るたびに、目は自然とダンボールハウスに吸い寄せられていく。ダンボールハウスの中を覗き見たり、住人と酒を酌み交わしてみたいという欲望に駆られることも、もはや日常となっている。
そんな訳で本書を興味深く手に取った。そして完膚なきまでにヤラれた。この著者の“調査対象”との距離のとり方は天性のものだろうか。“ダンボールハウス”というものに興味を持ちながら、この躊躇のなさ、ナチュラルさ。それは“若さ”という言葉では到底括りきれないこの著者の天賦の才能なのではないか。若さの特権とは、傲慢さ、無邪気さ、無知、無謀、そしてそれによる失敗が許されるという免罪符だろうが、この著者にはそうした若者の特質はまったく見られない。なんなのだこの若者らしからぬ節度と礼儀と良識、そして迷いのない腰の据わり方は!この才能には嫉妬を通り越して只只唖然呆然である。建築家になるのにはあまりに惜しい。この人の適性は間違いなくジャーナリストである。それもまったく新しいタイプの。文学的でないところがたまらなく気持ちいい。
それにしてもダンボールハウス、こんなにヴァリエーションがあったり、賃貸があったり、ルームシェアがあったり、大所帯があったりするなんて。結局、対象に踏み込めないでいる僕にとって、ダンボールハウスの深淵を垣間見せてくれた著者には感謝感謝である。内容も素晴らしいが、ダンボールを模した表紙、ブルーシートを模した見返しにも洒落っけと愛情が感じられる。
本書を読み終えた今、ダンボールハウスへの関心はさらに増したが、それ以上にこの著者への好奇心が首を擡げている。