評価される映画なのも感じ取れる。
ビョークは素晴らしいし、ミュージカルの使い方もいい。
しかし、私は非常に嫌いだ。
『エンディングロールの歌こそがはじまり』だという話がある。
そうなんだろうね、と初見してわかる。だからこそ嫌だった。
それがために不自然さ承知な死刑判決への運びを作り
長々と死刑執行に至らせ、殺して死体を処理しはじめる様まで描いたのか。と。
いや、逆なんだ。
この「最高に歌いあげてる最中に突然首吊らせて殺す」絵が
撮りたかったからこの脚本なのだ。
『彼女は幸福であった』『人生の目的を達せた』?
いや、そう言うのはいいけれど、主人公は拘束具つきで公開首吊りで死んだだけだ。
その映像の直後にそういう感想に転化するメンタリティには相容れない。
結局はこの映画監督と私が合わなかったということであろうけれど
「こういう風に描きたい、撮りたい、持って行きたい」
が完全に先行した半ばサディスティックな脚本の映画であるように感じた。
主人公、また他の人物の行動について
「なるほど、確かにこの人ならこう行動するだろう」
とすっと納得するようではないのだ。
しかし私はこの映画を忘れないだろう。忘れられないだろう。そこは畜生、私の負けである。