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19 人中、18人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0
対話の重要性,
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レビュー対象商品: ダライ・ラマ、イエスを語る (角川21世紀叢書) (単行本)
仏教徒であるダライラマ法王がキリスト教徒のセミナーで講師をするという、とても興味深い本です。ダライラマは、聖書の一節を仏教の視点から解釈し、キリスト教徒と共に瞑想しています。 内容はやさしいものではありませんが、ダライラマがなぜ世界中の人から尊敬を集めているか、よくわかります。 私はダライラマの関連本の中で一番印象に残っています。
3 人中、3人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0
「止観」は「止→観」ではなく、「観→止」である!,
By vivekatrek (大阪府枚方市) - レビューをすべて見る
レビュー対象商品: ダライ・ラマ、イエスを語る (角川21世紀叢書) (単行本)
私は二つの意味で本書を楽しく読むことが出来た。一つは、「はじめに」におけるローレンス・フリーマン神父の解説が、仏教者がキリスト教のエッセンスを正しく知る上でとても参考になることである。例えば、神父が“沈黙の経験のうちに、独自性と差異と、他のすべての二元性が一致を示すのだ。それらの二元的なもののすべてが、ひとつの統一の内に出会い、そこでは、互いの違いは尊敬され、自分を実現する。と同時に一切の対立が乗り越えられる。これが愛なのである。(p.39)”と述べるのを読んで、キリスト教の「愛」の意味がようやく理解できたような気がした。 楽しく読めたもう一つの理由は、ダライ・ラマ猊下が『福音書』のコメントを述べる際に、仏教全般あるいはチベット仏教の考え方を知らないキリスト教者のために、仏教用語あるいは概念の丁寧な定義を与えたことで我々が大乗仏教を理解する上でとても役立つことである。例えば、「止観」の説明である。“インドやチベットでは、二つのタイプの瞑想があります。一つは、ヴィパシャナ(vipasyana)と呼ばれる、ある程度の分析と論理的思考を伴うもので、観想的または分析的瞑想法と呼ばれています。もう一つは、サマーディ(Smmadhi)と呼ばれる、前者よりもさらに集中度と没入度の深くなるもので、これは集中の瞑想法と呼ばれています。(p.71+p.79)”、および“例えば慈悲の瞑想をする場合、慈悲にまつわるさまざまな事柄を内省するやり方を、慈悲についての分析的な瞑想と見なすことが出来ます。このように深く考えることは、慈悲と寛容の大切さと価値に、深いところで気づくことに繋がります。慈悲と寛容がいかに大切か、またどれほど必要なのかを心から確信するようになると、今度はもう何の分析も加えずに、その確信したことだけに心を集中させるようにするのです。心を静かに集中させます。これが慈悲についての集中の瞑想です。このように、一度の瞑想で、二つの種類の瞑想をするのです。(p.79〜80)” また、“「対象一点に心を集中させる」という言い方の背後にあるサンスクリット語の「シャマタ(samatha)」つまり「止」は、平安に住するという意味で、心の高められた状態を指しているということです。(p.160)”という説明から、「止観」が「止→観」ではなく、「観→止」の順序で進めることが分かる。しかも、「サマーディ」の究極が「止」であることも分かる。
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