三人の識者による、メディアリテラシーに関する一冊。「数多くの情報が氾濫している昨今、何が正しい情報なのか見極めるのが難しくなっている。そのような状況に対して一人一人がメディアリテラシーを高めるべきである」といった通説を聞くと疑うべくもない。ただし本書は、その通説をも疑うところからスタートしており、非常に奥行きが深かった。
◆本書における新しい視点
・これまでのメディアリテラシー論は、被害者にならないということを第一の目的にしていた。しかし、今や情報の受信者は同時に発信者でもあり、本書においては、加害者にならないためにということに重点を置いていてる。
・これまでのメディアリテラシー論は、リテラシーがない人を対象に語られてきた。しかし、昨今の情報環境の変化は誰しも経験したことのないものであり、本書においては、全ての人を対象に、必要なリテラシーが変化してきているという点に着目している。
・これまでのメディアリテラシー論は、中立であるということを目標とされてきた。しかし、人やメディアが偏ってしまうことは不可避なことでもあり、本書では偏りや多様性を前提としたうえで議論が為されている。
◆本書で紹介されている処方箋
1.リンクの不在を怪しむ、情報元を確認する、文章を最後まで読む
今年一年、Twitter上で何件のデマで出回ったのだろうか?mixi破産、みのもんたの駒野選手のお母さんインタビュー、鳩山由紀夫偽アカウント、小沢一郎偽アカウント、福山雅治結婚・・・全てがの要因がネット上にあったわけではないが、情報発信の簡易さが火に油を注いだのは事実である。これらの共通の特徴は「それらしいこと」にある。与えられた情報に対する、内在的なチェックを行いながら、安易な行動をおこさないことが肝要である。
2.無内容な話を見抜く、定義が明確でない話を見抜く、データで簡単に否定される話を捨てる。
上記のような”捨てる技術”を都度発揮するのではなく、ソーシャルグラフを定期的にメンテナンスをしながら、フィルタリングの精度をあげていくことが重要なことだと思う。2010年はソーシャルグラフの拡大が顕著であったと思うが、2011年は断捨離が一つのテーマになるのではないだろうか。
3.マイノリティの視点に立つ、その存在を承認する。
そもそも、”メディアリテラシーを高める”という考え方自体が、思想的に偏ったものであるらしい。言われてみれば、利用者に全ての責任があることが前提になっているわけで、システム提供者の社会的責任などは、なかなか議論にあがってこない。このように、議論をしている前提条件がどのようなモノの上で成り立っているのかを考え、さまざまな視点でモノを考えるということは大切なことである。
このようなメディアリテラシー論の本を読むと、この本自体もメディアなわけだから、鵜呑みにするのはどうかなどという、天邪鬼な気持ちも芽生えてくる。しかし、このような状態を、心理学的に「ダブル・バインド」と呼び、受け手に強いストレスを与えるため推奨しないという話が、本書で紹介されていた。完全に先回りされてしまっている・・・