私は「どうでしょうのミスター」など、鈴井氏の「陽向」の部分しか知らない内地の人間です。
しかし、本書にて打ち明けられた様々な「日陰」の所行を含みに入れた上で、改めて彼の細かい言動挙動を思い返してみると、「ああ、この時代あってこそ、『ミスターどうでしょう』があるんだな」と思わせてくれます(例:どんな奇抜な装束・メイク・ディレクションにも前のめりで取り組む姿)。
もちろん、現在の「副社」との関わり、言うなれば「オフィスキュー前史」も読み応えのあるところです。
では、本書は「単なる回顧録」「単なる自伝」かというと、(その要素はありつつも)それだけでは終わりません。
彼が本書をしたためる上でキーワードとなったのは「自己嫌悪」。紐解かれる所行はそれへの反発や否定の連続です。そして....
●自分の弱さだらしなさ至らなさと相対し、それらを克えていくことで、初めて得られるものがある。
●自分という虚像への執着や周囲への甘えを手放すことで、さらに多くを得ることができる。
この立ち位置を得たであろうところで本書は終わります。
おそらく時代的には「GO・I・S」は始まっており、「モザイクな夜」がそろそろ始まろうかという頃でしょうか。
私個人は、読んでいて身につまされる思いを何度もしました。
きっと自分は鈴井氏以上の「ダメ人間」なんじゃないのかと。
しかしそれを、字義通りの自己嫌悪ではなく、自らを「浄化、再生」するためのきっかけにすればいい。
そう思えるようになれば、本書を世に送り出した鈴井氏の意図どおりなのでしょう。