仕事上のノルマなど、実際に何かしらの直接的な結果を出すことが否応なしに求められている人にとってはこの本で得られるものはあるのかもしれません。この本が提示する「ダメ」状態脱却のための努力というのは基本的になんらかの「社会的成功」を達成するための努力だからです。もっと単純に言うと何かが「うまくやれない」ことを理由に自分はダメだと思っている人が「うまくやる」ためにモチベーションをコントロールするノウハウを提示する本です。自己評価の低い人に的を絞ったいわゆる「サクセス本」です。
しかしそもそも「うまくやる/やれない」こと自体は単に利害得失の多寡をもたらすものでしかありません。例えば、「卑怯」「傲慢」「怠惰」などは誰にとっても改めるべき恥ずべき要素ですが、本書が扱っているような「低収入」「低学力」「モテない」「口下手」などは技術的な水準の低さや社会的評価の低さなどを示すものではあってもそれだけで人として間違っている要素にはなりえません。正しさと賢さは違うのです。言うまでもないことですが、どこまでが「ダメ」でどこまでが「ダメじゃない」かの普遍的な線引きなどあるわけがない。「ダメ」という判定自体は紛れもなく自分や他人の思い込みや決めつけであり、視点を変えることが出来さえすれば「ダメ」じゃなくなるわけです。「ダメ」の根源が社会的な敗北感であれば、それを克服する努力というのは本書のように「勝ち」を求めることだけではありません。「意味のない勝ち負けに囚われない心のあり方」を求めることでもあるわけです。そのうえで能力の向上が本当に自分にとって(決して劣等感の解消などではなく)必要と考える人だけが努力すればいいのです。
なんらかの、「自分の能力の低さ」と「自分の劣後意識の大きさ」は切り分けて考えていいはずです。そうでないと、世間の価値に振り回されて、いつまでも見上げる嫉視と見下す傲慢の連鎖の中でただ「優越感」という安心を得るための努力をし続けることになるかもしれません。
この本をタイトルだけ見て書店で思わず手に取った数年前は、私はなんとか自分を変えたい変えたいとそればっかり考えて鬱々と思い悩んでいました。が、即効性にばかりこだわっていた自分自身の浅ましさが情けないです。そしてよくよく読めば、まず需要ありきで供給される本でよく使われる典型的手法が随所にちりばめられている(まず序章でこの本による効果を「やる気が出る」「モテる」「挑戦する勇気が出る」など薬の効能書きのように箇条書きで列挙している点など)のに今更ながら気付かされます。時間をかけて自分の頭で考えぬく苦労もせずにハウツーの実践だけで本質的理解・解決など得られないテーマ(心の問題)に対して、ハウツーで語りきろうとする姿勢自体にも疑問です。確かにハウツーはとっつきやすく読者ウケがいいので出版社からもそのような形式が望まれがちですが、そうだとしてもです。
ちなみにこの著者が高額なセミナー等を開いたりしているような方だというのはずっと後で知りました。
「ダメな自分を救う」というのは本質的には自分がまず「本当はダメじゃない」事実を認識したうえで、世間が押しつけてくる価値観に翻弄されないような堅牢な自分だけの価値観を打ち立てることにあると私は思います。そしてその助けになるような書籍を探そうとするのであれば、ノウハウやテクニックを求めるよりはフィクションでも宗教でも科学でもなんでもいいので、これまでの自分の中には存在しなかった新しいものの見方や生き方考え方に数多く触れることの方がよほど意味があると今は思います。むろん即効性はないですけど。