20世紀初頭に起きた前衛芸術運動、ダダ(イズム)とシュルレアリスム。同じ時代にて同じパリにて盛んになった両運動は、首謀者同士にも交流があり、これまでも多くの関連性が指摘されてきた。本書は『プレイバックダダ』というダダに特化した著作の文庫再録にあたり、大幅に加筆修正されて『ダダ・シュルレアリスムの時代』として生まれ変わったものだという。
タイトルが「ダダとシュルレアリスム」ではなく、この「ダダ・シュルレアリスム」になっているというのには、著者なりの含蓄があるのだ。近代の理性にもとづく秩序だった言語運用の否定と破壊を目指した「何も意味しない」ダダがまず先におこり、その後にまた別の「超現実」という世界を探求するシュルレアリスムが登場した、という破壊と創造のモダニズムの両輪をダダ、次いでシュルレアリズムが担ったという前後関係で説明する「ダダとシュルレアリズム」にもある一定の妥当性はあると、著者はいう。しかし、著者はそれ以上にインタラクティブに影響し合ったという両運動の同時代性の方にこそ目を向けたいということだ。
その目論見は成功したといっていいだろう。本書は1910年代から30年代にかけて、パリという街を舞台にしたダダとシュルレアリスムの芸術家たちの暗躍や、両運動の理念とその芸術史的、近代史的意義を的確に解説している。
また本書は前衛芸術としての宿命、ダダがスタイルとして硬直化していき大衆に安易に「受容」されていってしまう過程や、芸術の政治的利用についても目を背けない。特に、モロッコ戦争を期に接近するシュルレアリスムと雑誌『クラルテ』との関係や、ファシズムにおける全体主義的言語の運用との共通性など、言語芸術だからこそもつ危うさにも、警鐘を鳴らしている。
300pもの大著であるが、ダダとシュルレアリスムを過不足なくフォローしている、入門者には必携の本だと思う。