出版社 / 著者からの内容紹介
生きることは、出会うこと。
100万人が感動した映画『折り梅』の監督がかけがえのない人たちと過ごした、忘れられない時間。そこに見つけた、人生の真のよろこび!
吉行和子さん推薦!
良妻賢母を夢みていた少女は、ある日、「何かを表現したい」という新しい夢を持った。そして多くの人を感動させる映画監督になったのだ。
私自身の人生にも、いくつものターニングポイントがあった。いくつもの曲がり角には、かならずその時どき、「人」との出会いがあった。20代の雑誌ライター時代、30代のマネージャー時代、40代のプロデューサー時代、そして50代の映画監督。振り返れば、ほぼ10年ごとに新しい仕事にめぐり合っては、転職をくり返してきたことになる。はた目には、いかにも恵まれた「仕事人生」と映るのだろうか。しかし実際は、どの仕事も、自分が明確な志を持って、長い努力の末に獲得したというわけではなかった。それぞれの仕事は、いずれも、その時どきに出会った人が与えてくれたもの、との思いが強い。<「エピローグ」より>
100万人が感動した映画『折り梅』の監督がかけがえのない人たちと過ごした、忘れられない時間。そこに見つけた、人生の真のよろこび!
吉行和子さん推薦!
良妻賢母を夢みていた少女は、ある日、「何かを表現したい」という新しい夢を持った。そして多くの人を感動させる映画監督になったのだ。
私自身の人生にも、いくつものターニングポイントがあった。いくつもの曲がり角には、かならずその時どき、「人」との出会いがあった。20代の雑誌ライター時代、30代のマネージャー時代、40代のプロデューサー時代、そして50代の映画監督。振り返れば、ほぼ10年ごとに新しい仕事にめぐり合っては、転職をくり返してきたことになる。はた目には、いかにも恵まれた「仕事人生」と映るのだろうか。しかし実際は、どの仕事も、自分が明確な志を持って、長い努力の末に獲得したというわけではなかった。それぞれの仕事は、いずれも、その時どきに出会った人が与えてくれたもの、との思いが強い。<「エピローグ」より>
内容(「BOOK」データベースより)
生きることは、出会うこと。100万人が感動した映画『折り梅』の監督がかけがえのない人たちと過ごした、忘れられない時間。そこに見つけた、人生の真のよろこび。
内容(「MARC」データベースより)
100万人の心を捉えた映画「折り梅」を生んだ原動力とは? 妻、母、そして働く女性として悩み、考え、現実に立ち向かった日々を、ありのままにつづる。かけがえのない人たちと過ごした時間に、人生の真の喜びを見つけた…。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
松井 久子
1946年、岐阜県飛騨生まれ、東京深川育ち。早稲田大学第一文学部卒業後、雑誌の編集者及びライターとして活動。1979年、俳優のプロダクションである有限会社イフを設立、数多くの俳優マネージメントに携わる。1985年、テレビ番組の企画制作会社、株式会社エッセン・コミュニケーションズを設立。テレビドラマ、ドキュメンタリーのプロデューサーとして活躍。1998年公開の『ユキエ』で映画初監督。日本映画製作者協会フィルムフェスティバル最優秀新人監督作品賞をはじめ、文化庁’98年度優秀映画作品賞など数多くの映画賞を受賞、演出力が高く評価された。製作・脚本・監督の三役を務めた2002年公開の映画『折り梅』が、2004年3月に観客動員数一〇〇万人を突破。『折り梅』の上映・講演会で全国を飛び歩きながら、三作目の製作実現に向けたシナリオ執筆と資金集めに、多忙な毎日を送っている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1946年、岐阜県飛騨生まれ、東京深川育ち。早稲田大学第一文学部卒業後、雑誌の編集者及びライターとして活動。1979年、俳優のプロダクションである有限会社イフを設立、数多くの俳優マネージメントに携わる。1985年、テレビ番組の企画制作会社、株式会社エッセン・コミュニケーションズを設立。テレビドラマ、ドキュメンタリーのプロデューサーとして活躍。1998年公開の『ユキエ』で映画初監督。日本映画製作者協会フィルムフェスティバル最優秀新人監督作品賞をはじめ、文化庁’98年度優秀映画作品賞など数多くの映画賞を受賞、演出力が高く評価された。製作・脚本・監督の三役を務めた2002年公開の映画『折り梅』が、2004年3月に観客動員数一〇〇万人を突破。『折り梅』の上映・講演会で全国を飛び歩きながら、三作目の製作実現に向けたシナリオ執筆と資金集めに、多忙な毎日を送っている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)