私も本書が挙げる「暴力のタブー」に触れたことがある。こちらのミスではあったが胸ぐらをつかまれ、警察に連行され、上司に「その筋の関係」を匂わせ…。雅子妃に敬称を付け忘れて暴行され「屈してしまった」という、「噂の真相」副編集長だった著者の足下にも及ばないが、当該集団への恐怖を植え込まれてしまった。全面降伏を余儀なくされた私は著者と違い、今でも当該集団への憎悪が心の奥に渦巻いている。本書の冒頭の著者が語る「トラウマ」を読んで、ウワシンの副編でもそういう心情になるのか……と共感した。
権力のタブーも怖い。特捜の不祥事以前、ウワシンだけが検察裏金問題を追っていたとき、編集長らを名誉棄損で刑事起訴するなど、検察はかなり荒っぽい報復をしていた。警察も裏金問題で道新にあからさまな報復捜査をしていた。メディアが権力を監視するより権力に依拠して情報を取るスタイルが主流である限り、捜査機関へのタブーは君臨し続けると見る。そして、著者は、暴力的な報復や捜査機関タブーだけではなく、今、有力な情報源、スポンサーや売れる商品に遠慮してのタブーがどんどん増えているという。のりピーの扱いは大きかったが、同時期の事件だった押尾学事件は死者まで出て、マネジャーまで逮捕されたのに、のりピーほどの扱いでなかったのは、事務所の差だったのではないか、という。
本書は非常に優れた本だが、読む人に勘違いしてほしくないのは、「圧力にビビるマスゴミオワタ」で終わってしまってほしくないことだ。タブーを破る報道は読者の支持なしにはできない。広告主がらみのタブーが増えたのは、消費者だけでは報道の質を維持できなくなったことが大きい。ウワシンは訴訟費用で撤退を余儀なくされたし、本書でも登場する「ザ・スクープ」のほか、「ムーブ」など、タブーを破る番組は評判が良くても終わってしまった。タブーをぶち破る報道は並外れた勇気と裏取りのための資金力が求められる。本書を読んで感銘を受けた人は、本書が挙げた「タブー」を破るメディアを応援してほしい。AKBがらみで特ダネを打った週刊文春や、「パナ落日」特集をやった東洋経済、きわどいネタが多いサイゾーを買うとか。改めてウワシンってすごい雑誌だったなあと思う。