タクシードライバーを対象とした、ノンフィクションは媒体を問わず意外に多い。元から完全歩合制の不安定な給与体系に加え、いわゆる小泉改革での規制緩和のあおりをうけ、その労働条件は日増しに悪化しているという。多くの作品は、折からの「派遣労働者問題」とセットでこれらの問題を告発する、という趣旨のものだ。
本書も「そういう風な」読み方をすることは可能である。ページのどこを開いても、タクシー運転手稼業に対する怨嗟の声に満ちている。だが、類書と一線を画しているのはどこか「そんな悲惨な自分の状況」というものをひょうひょうと客観視しているからだ。
「係官が勝ち誇ったようにきびしい目付きになって得々と説教している。この男がかつて同じタクシー運転手だったとは信じがたい。語るに落ちるとはこのことだろう。乗車拒否や不当料金の真の原因が何であるのか、タクシー運転手の労働の内実がいかなるっものであるのか、といった切実な問いが彼の肉体からは欠落していちた。私は柔順になっていた、むしろ私はこの男の説教に耳を傾けるべきだと思った。なぜなら、彼は私に説教し、私を導くことによって、小役人となった自らを体現しようとしているのだ。彼はやっと、タクシー運転手から脱出できたのだから」(P66)
「年末になるとこの種の乗客が増えてくる。総決算の月であると同時に、人間にとっても日ごろの鬱積した憤懣がいっきょに爆発する月でもある。その格好の相手がタクシー運転手になるわけだ。それではタクシー運転手はいったい誰に対して憤懣をぶちまければいいのか」(P183)
最底辺の職業であると、タクシー運転手としての自分を突き放すことによって、本書は告発ルポを超える大きな収穫を得た。
70年代・80年代の、サラリーマン・水商売・学生といった様々な人々の生き方を常に「下から目線」で眺める。
人がタクシーにのり、ほっと一息をつく。そして「最底辺のタクシー運転手」にふと自分の素顔をさらす。著者は、その素顔を逃さず書きとめていく。
本書は、バブル前夜の「時代の記録」であるといえる。