著者による16年前に出版された名著 『タイ−開発と民主主義−』(岩波新書、1993)の続編として、満を持して登場した本書は、現在のタイを、政治・経済・社会から捉えるために不可欠な知識と視点を与えてくれる。読者は充実した読後感を得ることであろう。
前著の出版は、1992年の第二次民主化運動のさなかでで発生した「五月流血事件」によって、報道をつうじてタイが全世界にクローズアップされたあとのことでであった。
今回の新著は、もはやあるまい思われていたが2006年に15年ぶりに発生した「無血クーデター」から3年たったいまでも、いっこうに政治的混乱に終止符がうたれないタイの現状について詳細に分析している。
この二冊の本のあいだに存在する16年間とは、まさにタイが中進国として急激に経済発展し、様々な社会問題を発生させてきた時期でもある。
著者はタイ現代史の分岐点となった1988年から筆を起こすことによって、この20年間でタイが"微笑みの国"から、"微笑みを失いつつある国"へと変化してきたことを解説、現在まで続く政治的混乱の原因は何かについての見取り図を読者に与えてくれる。
タイにかんする本といえば、専門書を別にすれば、ほとんど同じ内容の観光ガイドブックばかりが出版される昨今の日本の出版状況だが、本書は久々に登場した、日本語で読める本格的な一般書である。観光地としてのタイではなく、現代のタイ社会について、根本から理解するための必読書といってよい。
著者がカバーする領域はかなり広く、経済・政治・社会だけでなく、新興財閥の具体的な企業名もあげて言及しており、ビジネスマンにも読むに値する内容の本になっている。
著者による 『進化する多国籍企業−いまアジアで何が起きているのか?』(岩波書店、2003)とあわせて読めば、1997年のアジア金融危機後IMF管理下におかれたタイのビジネスの変化、消費社会化した現在のタイについて深く理解できるだろう。
本書を読むと、中進国となった工業国タイの問題とは、米国が主導するグローバル資本主義にいかに対応するかという課題に対する、二つの解答のあいだのせめぎ合いであると見ることもできる。
ひとつは、1997年の金融危機以後、タイの政治では例外的な、5年以上にわたる長期政権を実現したタクシン元首相の、積極的にアングロサクソン流のグローバル資本主義の流れに乗っていこうとした経済・社会政策。
もうひとつは、現国王ラーマ9世(=プーミポン国王)が提唱する「足るを知る経済」。後者は、仏教の経済思想に立脚したサステイナブル経済を志向する、いわばオルタナティブ資本主義といえる。
タクシンが積極的に推進した変革は、ある意味でタイを日本以上にアメリカナイズされた社会に変貌させた。これは、ビジネスでタイにかかわり、バンコクに住んでいた私にはよく実感できることである。
しかし、タクシンが実行した経済社会改革があまりにも急進的であったために、タイ国民は正直いって疲れてしまったというのが実情だろう。これが2006年クーデターが国民に受け入れられた背景にあるようだ。
日本の小泉首相とほぼ同時期(!)に政権の座にあったタクシンがもたらしたものは、日本と同様、功罪両面から評価しなければ本当のことは理解できないのだ。
"微笑みの国"というのは、有名なタイの観光キャッチフレーズだが、実際にタイに暮らしていると、タイ人から"微笑みが失なわれつつある"ことを日々実感することになる。微笑みはいったいどこに行ってしまったのだ、と。
日本を上回るスピードで急速に変化をとげているタイ社会には、先進国日本がすでに経験ずみの問題もあれば、少子高齢化というまさにいま直面している問題もある。またタイ固有の問題もあり、先進国日本の経験で、中進国タイが抱える問題のすべてを推し量ることはできないのだ。
著者は最終章で、「タイ社会と王制の未来」について扱っている。これは、タイの将来を考える上で避けて通ることができない最重要のテーマである。
しかし、タイについて多少でも知っている人は承知していると思うが、これは正直いって実に扱いにくいテーマなのだ。私は、このテーマを項目として立てたこと自体、著者を高く評価したいと思う。
しかしそうはいっても、読者はこの章にかんしては、行間を読む必要に迫られる。だが、最初から最後まで注意深く本書を読んだ読書なら、今後の方向性についてはかなりの見通しをを得ることができるはずだ。
トリビアルなものまで含めて、タイにかんする知識がぎっしりつ詰め込まれた本書は、一回読んだあと読み捨てにするには実に惜しい。
ぜひ1冊購入して、読んだあとも手元に置いて、折に触れて参照する価値のある本である。