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『Time Out of Mind』がスタートすると、ボブ・ディランは1964年の「One Too Many Mornings」と同じように淀んだ日の風景の中に姿を現す。だが、今回のディランには、街角や遠くで吠える犬をロマンティックに描き出すような余裕はない。どんなに愛に、そして自分自身に疲れているか、ひたすらうめき声で訴えるばかりだ。うめくことで先を続ける力が出てくるんだと言いつつ、ディランは歌い続ける。そのようにしてつづられていく11曲は、ディランがもっとも正直に自分の気持ちを吐露したもので、雄弁な音楽性を持っている。90年代初頭の傑作アルバム『Good As I Been to You and World Gone Wrong』で垣間見せた、再構成されたボトル・ブルースを受け継ぐのが本作なのだ。ダニエル・ラノワの手になるプロダクションとグルーヴは、ダーティーな質感をかもし出すべく入念に計算されており、少なくとも『Blood on the Tracks』以降のディランのアルバムの中では最高の仕上がりといえるだろう。どれほどディランがひどい気分だと訴えようとも、これは強い、本当に強い男のつくった音楽である。(Rickey Wright, Amazon.co.uk)
内容(「CDジャーナル」データベースより)
新曲ばかりのレコーディングは,実に7年ぶりだそう。ツアー・メンバーに同世代のベテラン・ミュージシャンを加えた編成で,泥臭い歌と演奏を聴かせる。前作『奇妙な世界に』くらいなまなましい音質でもよかった気はするが,ディラン自身は気力十分。
内容 (「CDジャーナル・レビュー」より)
腰は軽いが身体全体が重いあるいは頭は痛いが心は晴れているあるいは毎日雲は厚いが生命力は漲っているあるいはあんたのことは嫌いだが全人類の平和を祈っているあるいは攻撃態勢は整っているがあえて攻めずとも相手が自滅していく様を見ねばならぬことになったあるいはブルースもゴスペルもフォークも歌ならなんでも歌いたいし歌えるのだが精気をほとばしらせずに情も山盛りせずにゆるやかなロックンロールで漂うように歌いたいと思うこと。ボブ・ディランは“歌うことと自分”についていちいち考えずとも歌いたいから歌いたいように歌うことで“歌そのものの力と自分”についての見解めいたものはおのずと伝わると信じられる、ようやく信じられる地点に到達したのだと、最近のステージは示していた。四の五のいわれ続けることを楽しみもした男は、わざわざステージでやっているようにアルバムでも歌うことなど虚しいあるいは退屈だと考えている。オリジナル曲を集めたフル・アルバムを7年間作らなかったのは普段の自分の歌の力にスタジオでの実験を楽しめる余裕と、別の水路を開く衝動とが同時にやって来るのを歌いながら待っていたにすぎなかった、と本作は示唆する。中心人物が奥あるいは穴の中あるいは丘の上あるいは水中にいるダニエル・ラノア流儀残響界は、歌と演奏の主従関係を歪めてディランのアクにこれまでにない刺やべたつきや不親切さを現出させた。ディランの歌を誰にも利用させない、易々と感情移入などさせてたまるか、といった創作上の誠意を本作のディランとラノアの一聴乱雑な歌のうねりに感じ、俺は昨年秋ディランの全作品をぶっとおしで聴き直しておいてよかったと思った。過去のディランの型の数々に寄り添おうったってそうはいかねえ、というものでなければ、今さら作る必要などない。消化しきれぬ悪辣なしかし甘えのない歌への欲望があちこちに潜んでいる。感動したがり酔いたがりどもに用はない。 (湯浅学) --- 1997年11月号