この作品は、
あとがきで紹介されているヴォネガットの言葉にあるように、
長い長い一つの物語の終章である。
よってこの本単独の評価をすることはできない。
ヴォネガットはこれまで、延々と一つのテーマに沿って物語を書いてきた。
運命の残酷さや社会に対する深い絶望と、
そのなかで一人の人間がどう生きることができるのかという問題。
ヴォネガットはそれを様々なドラマを通じて描いてきた。
一人でも多くの人の心に彼の声が響くことを信じて、
ただひたすらに信じて書くことにしか彼にはできなかった。
魂のメッセージ。
彼は、そんなやさしさをあらゆる形でカモフラージュしてきた。(不器用にも)
それによって彼は「サタイア」、「ブラックユーモア」として確固たる評価を作り上げた。(皮肉にも。)
しかしその彼がとうとうこの作品において生の声を発した。
ストレートでひどく弱弱しく、子どもっぽい、しかし涙が出るほど美しい言葉たち。
飾らない、しかしそこから目をそむけることを許さない純粋なメッセージ。彼は本気である。
気恥ずかしくなるような言葉を、真剣に発している。
もう自分には「物知り顔」で物事を達観することなどできそうにない。
ヴォネガットを皮肉屋と考える人たちはこの本にいささか失望するかもしれない。
しかし敢えて言う。彼は本気だ。はじめっから、本気だ。
彼は自由意志を否定しているのではないし、人生がつまらないものだとも思っていない。
人生は、ほとんどの人にとって、あきらめるには愛しすぎるものだ。
誰もがどこかに愛された形跡をもっていて、
同じように誰もが自分の人生を愛した痕跡を持っている。それを認めよう。認めよう。
自由意志なんてものはないかもしれないが、
それでも人は「自分の人生の舵を自分が取っている」と信じることしかできない。
そうして人生を真剣に生き抜くことこそが神聖なのだ。
(『スラップスティック』参照)
ヴォネガットをはじめて読むのなら、
『タイタンの幼女』や『猫のゆりかご』あたりが入りやすいと思う。
でも、「この人はどこまでふざけててどこから本気なんだ?」と思ったら是非この本を読んで欲しい。
彼は、本気だ。