イラン系越境英語作家ナヒッドゥ・ラチュリンの小説を読んでいたら(『炎を超えて』Jumping over Fire、City Light Books 2005)、ゾロアスター教に起源を持つ火の上を飛び越える新年の遊びに主人公が興じる場面があって、現代のイランにもゾロアスター教がまた生き残っているのかと知ってちょっと驚いた。イスラム神権政治の行き過ぎに対する抵抗として敢えてゾロアスター教の遺物を持ち出してきたのかとも思ったが、古典の『ハーフィズ詩集』(東洋文庫)を読んだ時も、ゾロアスター教徒の営む酒場が出てきたり、イランにおけるイスラム社会とは伝統的に決して一枚岩ではないのだと認識を新たにするとともに、そもそもゾロアスター教がいかなるものか気になりだした。
今度、ゾロアスター教関連の本を数冊読んでみたが、青木健『ゾロアスター教』が入門書としても、また、知的な読み物としてもいいと思った。上記の新年の祭り(ノウ・ルーズ)についても、また『ハーフィズ詩集』についても(ゾロアスター教は、イラン・スーフィズムとして生きながらえる)分かりやすく教えてくれている。さらに知的なスリルを味わえたのは、まだらに見え隠れするゾロアスター教における近親婚の伝統だ。著者は、この本のなかでアルメニア的ゾロアスター教などの例で近親婚の伝統について数回言及している。それは、僕にとって大きな発見だった。というのも上記の『炎を超えて』は、実は、主人公の妹と異母兄弟の兄が近親的な愛を燃え上がらせる小説なのだが、ラチュリンがそういうあまりに重い題材を選択するのは大胆過ぎるように思えて仕方がなかったからだ。この『ゾロアスター教』を読んで、近親姦を直接的に仄めかす題材をとりあげる背景、伝統がよく理解できた。
最後に忘れてならないのは、著者青木健氏の型にはまらないユーモラスな文書の味わいだ。イラン・インドその他の地域を自分の足で歩きながら古代アーリア民族の宗教についてユーモラスに語る青木氏は、ゾロアスター教の享楽肯定、形式的儀礼を排した自由を彷彿させる。今日におけるゾロアスター教の古代宗教としての魅力と、青木氏の飄々としたスタイルは、何か切り離しがたいもののように思える。