ソシュールの先祖は、フランスからの移住者であるという。多くの学者を輩出したスイスージュネーブの名門に生まれ、若くして、その才を発揮したソシュールであるが、18歳の写真を見ると、驚くほど老成した感がするのはどうした事であろうか。F・ソシュールは謎多き人物であり、本当のその人物なりを記録した資料を誰も知らない。若くしてパリ・ソルボンヌに留学し、その学才を嘱望され前任者の死去により、ジュネーブ大学に招聘された。そこで要望されたのは、前任者同様、「一般言語学」を講義する事であったが、ソシュールは、ひどくそれを渋り、且つ固辞したという。
言語に一般論など無いという訳である。それ故であろうか、わずか3回の「講義」を残して55歳で死去している。今の、余命の基準では比較できないが若死の範囲であろう。「音」と「意味」の対応構造の分析、「通時性」、「共時性」などという概念を残して、一般言語学に別れを告げ、言語の迷宮を離れたように見えるが、最終的にはアナグラムに傾斜したと言う。アナグラムを研究したとは、逆さ言葉の遊び、単なる音声の背後にある、或いは文字の中にある「構造」の探求か?または、アナグラムは「意味」の出現の探求に使ったか?
ソシュールは、恐らく、講義よりも自分の研究に時間を取りたかった相違ない、例えば、「意識や悟性」の研究、ヘルダーやライプニッツまたヒュームを研究したかも知れない。この「講義録注解」は、ソシュールの足跡を追う為には最良の資料のひとつです。しみじみと、写真を見ると何か、オーストリアの詩人フーゴ・ホフマンスタールを思い起こす、「チャンドス卿の手紙」は、やはり理解不能な言語状況に関する言葉の問題を提起しているのだが…