ワイクは難解だという人がいます。たしかに小説のようにすいすい読める本ではありません。
ですが、日本で難解と言われる理由の大部分は翻訳のせいだと思います。Google Book で比較してみました。誤訳が多々あります。
p5 新入社員の社会化
原文 a newcomer socialization
私訳 新入社員の社会人化
註釈 組織の一員としての行動、社会人としての一般常識を身に付けさせることです。社会化では何のことか分かりません。真面目な読者ほど考え込んでしまいます。こんな翻訳に出会えば難解と感じるのも当然です。
p5 彼女によれば、センスメーキングとは、驚きを説明するために回顧的省察を用いる思考過程である。
原文 She views sensemaking as a thinking process that uses a retrospective accounts to explain surprises.
私訳 彼女はセンスメーキングをある思考過程と考える。そこでは事後的な理由付けを用いて(会社に入って初めて見聞きしたため)戸惑ったことの意味を説明する。
註釈 学生時代の常識と違う。会社ではなぜそうするのか分からない。それがsurprisesです。Retrospective は回顧的よりも「遡及的」や「事後的」が良いと思います。新入社員の時に戸惑った社会常識の意味を後で知るのです。
p8 センスメーキングとは、何ものかをフレームワークの中に置くこと、納得、驚きの物語化、意味の構築、共通理解のために相互作用すること、あるいはパターン化といったようなことだと述べてきた。
原文 So far I have argued that sensemaking is about such things as placement items into frameworks, comprehending, redressing surprise, constructing meaning, interaction in pursuit of mutual understanding, and patterning.
私訳 今までセンスメーキングが関するのは以下のことだと述べてきた。物事を枠組みの中に配置すること、全体の把握、意外性の是正、意味を築き上げること、理解し合うためのやり取り、類型化である。
註釈 Comprehending は「納得」というより全体を把握すること。驚きの物語化は明らかな誤訳。「共通理解」では両者が第三の事物を同じく理解することですが、mutual understanding は互いに理解し合うことです。「相互作用」は心理学の用語ですが、一般的な表現は「やり取り」です。他が正しく訳されていたなら読者も辞書も引いたでしょう。
p10 組織の生は、意思決定とか環境への対処のみならず、解釈や謎解きあるいは理論化それに組織の生の歴史化にもかかわっているのだ、とMarchが言うのは、まさにこの曖昧さから逃れ難く、それに直面した時に感ずる不安が拭い難いからである。
原文 It is very pervasiveness of this ambiguity and of the strong discomfort people feel when they face it that leads March to argue that organizational life is as much about interpretation, intellect, metaphors of theory, and fitting our history into an understanding of life as it is decisions and coping with environment.
私訳 至るところにあるこの曖昧さと当事者が感ずる強い不安、まさにそれがMarchの主張を導く。組織人の日常は決断や外部との競合と同時に、解釈、知的作業、理論の書き下し、今までの活動を人生観に一致させることにも関している。
註釈 曖昧な訳語を選ぶのは自信がない箇所だからでしょう。Organizational life は組織が生き物のように振る舞うのではなく、組織人として生きること。Coping with environment は他社との競合や業界全体の浮沈へ対処すること。Metaphors of theory は「理論化」ではなく理論を比喩で表すこと。Fitting our history into an understanding of life は「組織の生の歴史化」ではなく、組織の中でやってきたことを各自が人生の意義とするものに一致させることです。不思議なのは、翻訳が分かりにくい本を欠陥と扱わない商習慣です。家電ならリコールです。
p10 組織の活動と構造は、メンバーのちょっとした瞬間的な行為によってかなりの部分決定される。
原文 Activities and structures of organizations are determined in part by micro-momentary actions of their members.
私訳 組織の活動と構造を決定するものの一つにメンバーが行う微視的で単発の行為がある。
註釈 「かなりの部分」ではなく「一つに」です。また、micro-momentary は、多数が関わるマクロでなく各自が行うミクロな、連続でなく単発の、です。「ちょっとした瞬間的」では意味が通じません。ミクロな行為の重要性はワイクの思想の基礎ですが、訳者は気付いていないようです。
P10 行為は、"個人が環境内の手掛かりに注目し、その意味を解釈し、具体的な活動を通してその解釈を外在化させる"というサイクルに基づいている。
原文 Action is based on a sequence in which "individuals attend to cues in the environment, interpret meaning of such cues, and then externalize these interpretations via concrete activities."
私訳 行為は一連の事象に基づく。そこでは「個々人が周囲にある様々な手掛かりに注意し、そのような手掛かりの意味を解釈し、その解釈を具体的な活動を通じて外に伝える。」
註釈 Sequence は循環ではありません。「一続きのもの」です。「外在化」は心理学用語ですが、他が日本語らしくないので読者は辞書を引くかどうか。自分の中にあるものを外に出すことです。
p14 人間をとりまく状況は時間軸に沿って明確にされていくということがあるが、この明確化が逆に進むときがある。これこそセンスメーキングの重要な特性である。結果がそれ以前の状況の定義を満たしていくという場合が少なからずあるが、結果がそれ以前の状況の定義を開発する場合の方が多い。
原文 A crucial property of sensemaking is that human situations are progressively clarified, but this clarification often works in reverse. It is less often the case that an outcome fulfills some prior definition of the situation, and more often the case that an outcome develops that prior definition.
私訳 センスメーキングの重要な性質は人的な状況が時間とともに明確になることである。しかし、その明確化はしばしば逆方向に作用する。結果が状況の事前の記述に従うことは少なく、結果がその事前の記述を発展させる場合が多い。
註釈 センスメーキングで重要なのは「明確化が逆に進むときがある」ではなく、時間とともに明確になることです。また、「明確化が逆に進」めば不明確化します。作用が遡及的なのです。良い行為が良い結果を生むのでなく、良い結果を生んだものを良い行為とする。日本の諺で似た例を挙げれば「勝てば官軍」です。
Google book はところどころ抜けがあります。そのため、翻訳の検討も間が飛んでいます。どうしたら、こんな日本語になるのかという箇所が他にもありましたが、原文を参照できませんでした。
【結論】
辞書を引きながらでも原著を英語で読んだほうが速く読めます。この翻訳で理解できるという人がいたら、嘘を付いているか、余程の天才か、斜め読みしかしない人ではないでしょうか。原文の意味と掛け離れた誤訳があちこちにあります。
蛇足を書くと、理系の分野で、海外の研究者の説を紹介しただけで教授になった人も博士号をもらった人もいません。ですが、文系分野だと海外の研究者の業績を紹介しただけで教授になり、本を書いて飯が食える。理系でニュートンを研究している人はいます。ですが、それは科学史の研究であり、科学の研究ではありません。ところが、経営学だの社会心理学だのの分野ではニュートンのような偉大な学者どころか、対等なはずの一般の研究者の本を翻訳したり日本に紹介しただけで、学者でいられる。不思議な世界です。しかも、誤訳する。原著者の思想を完全に理解しているとは思えません。それで通ってしまう世界。これではいつまで経っても日本の経営学は二流のままです。