来ましたよ〜!!やっと来た!この作品のDVD化を密かに待ち望んでいた方、もう筆者を含めすっかり首長竜になってしまったと思いますが、今年は何だか“マニアック映画DVD化旋風”が吹き荒れているようで(しかも不意打ち多し)嬉しくなってしまいます。これも『キラー・インサイド・ミー』効果なのだろうか?
「真夜中の刑事」でフレンチ・ノワールの新世代として注目されたアラン・コルノー監督の、もうひとつの代表的ノワール作品。原作はあのジム・トンプスンの「死ぬほどいい女」!上記のソフト紹介文ではトンプスンは「ハードボイルドの巨匠」と書いてありますが、それは間違い。「パルプ・ノワールの巨匠」a.k.a.「安雑貨屋のドストエフスキー」(くわしくは「キラー・インサイド・ミー」のレビューで解説してます)であります。
トンプスンは、アメリカ本国では安雑貨屋で売られる、読み捨てペイパーバックを書いていた作家。生前はほとんど評価されなかったのですが、実は彼の作品に価値を見出したのはフランス人。「セリ・ノワール叢書」という、犯罪小説の全集にトンプスンの作品が多数ラインナップされ、愛読されてきました。この映画のタイトルも、その叢書名から取られているのです。
パリの郊外に暮らす、うだつの上がらないセールスマン、フランク(パトリック・ドヴェール)。ある日、訪問先の老婆が16歳の姪・モナ(マリー・トランティニャン)に売春をさせてその代わりに品物を手に入れようとするが、フランクは彼女を優しく諌める。・・・後日、再びその家を訪れた時、モナはフランクに囁く。「おばから金を奪って、私と一緒に逃げて・・・」
本作の見どころは、何といっても主役のパトリック・ドヴェールのくたびれた演技。『バルスーズ』でジェラール・ドパルデューとのコンビが印象に残っている方も多いと思いますが、ダメ〜な感じの孤独な男を実にたまらなく好演。フランスでは、演技を目指す学生の教科書がわりにこの映画が使われているそうです。
リュック・ベッソンも若い頃に影響を受けた作品としてこの映画を挙げている事は有名です。
また、主人公をたぶらかすファム・ファタール(?)的少女を演じるマリー・トランティニャンの存在感も引けをとりません。本作撮影時に17歳だったとは思えない演技力。この作品は、この二人の演技と、それを引き出したアラン・コルノーの演出手腕が成功の鍵だったと言い切って良いでしょう。
アメリカの犯罪映画は、プロフェッショナルのハードな世界を描く、割とスタイリッシュなタッチのものが多いのですが、本作は「どこにでもいる」「平凡な」ダメ人間が、ひょんなことから足を踏み外し、犯罪に手を染めていっってしまう・・・そういうドラマを描いた作品です。なのでカッコイイ犯罪映画を期待していると、あてが外れてしまうかもしれません。銃を撃つシーンなども、サイレンサーのかわりに布切れを銃身に巻いて(まさにジャケットの画ですね)撃った後は布に火がついて・・・など、素人っぽさがたまらない。本作の魅力は、フレンチ・ノワールならではのこうした「けだるさ」なのです。
ジム・トンプスン映画は、意外と良く出来た作品が多いのですが、ほとんどのものが「監督」のカラーに染まってしまいます。本作もそういう意味では「アラン・コルノー」作品と呼んだ方がいいかも知れません。なぜなら、トンプスンの小説は、ラストで常軌を逸した展開、またはあまりにも実験的すぎて映像化不可能、というケースが多いのです。本作も、原作のラストは小説にしかできないアヴァンギャルドな文体(いきなり新キャラクターが登場し、破滅的なドラマが展開。そこでは主人公の頭の中と、目の前で起こっている事が平行して描かれ、しかも両者のイメージに大きなギャップがあるため、実際に何が起こっているのか読者は「想像」するしかないという・・・まさにカオス!)が突如展開し、いきなりそれまでのストーリー(というか世界観?)をひっくり返してしまいます。さすがにこのラストシーンは映画化不可能・・・、またカットしたのはこの映画としても「正解」だったと思います。(余談ながら『ゲッタウェイ』でも、原作の最終章ではものすごい展開が待っています)
とはいえ、トンプスン小説のもう一つの特長は「どこにでもいそうな」人々の、心の奥底の闇を描いた事で、登場人物の心理をじっくりと描くコルノーの作風と、トンプスンの「安雑貨屋のドストエフスキー」的な要素が化学反応を起こして、この意外な傑作に仕上がったのです。
フレンチ流トンプスン。それが『セリ・ノワール』の魅力、と言えるのではないでしょうか?