多くの人がうすうす気づいていることだと思うが、前川かずお画伯が挿絵を担当されなくなってからの三人組には、それまで横溢していた生命力がどこか感じられなくなってしまった。それは単に挿絵のせいばかりではなく(もちろん高橋信也氏の絵が悪いということではない)、作家の筆力が落ちた、というような単純な話でもない。むしろ後期の方が構成の技術に驚かされることが多いのだが、しかし、そのような「技術」だけでは小説は輝かないのだということが、この50巻のシリーズで証明されてしまった。問題は作者の個人的力量を超えたところにあり、言ってしまえば時代の変化が否応なく三人組を変質せしめたのだ。バブル経済が始まる少し前の時代、つまり高度成長期の終わりに三人組は活躍を始めた。その躍動する三人組が終わりを告げたのが、ちょうど25巻目の『ズッコケ三人組の未来報告』であり、そこが彼らにとっての「卒業式」だったのだ。
ではその後の14年間の三人組は、生ける屍のような存在だったのだろうか。決してそうではない、というのがこの本を読んでの感想である。彼らがいまの時代をそれなりに誠実に、一生懸命生きた、ということが『ズッコケ三人組のバック・トゥ・ザ・フューチャー』では描かれている。この「自分探し」のような主題は小学六年生にふさわしいテーマではない、と思われるかもしれない。しかし現代の子どもたちにとっては自らのアイデンティティを確保することは至難の業である。三人組はその難事業に敢然と立ち向かい、それなりの成功をおさめた。今の時代に少年が冒険するとはこういうことなのだ。
もちろんこれはファンタジーであり、この世界に耽溺するのはある種の現実逃避かもしれない。しかし人は真実のないところには決して逃避しないし、また、その旅先での一夜の宿の暖かさは何物にも代えがたい。