82の短編からなり、いずれも面白いが11番目の火の伝説を取り上げる。
ある男が火を起こす方法を発見して伝えた。その後、数世紀が過ぎた。
ある部族では、聖職者が独占して富と権力を保持していた。
ある部族では、忘れられていて道具が礼拝されていた。
ある部族では、ある男が神として祭られていた。
ある部族では、物語として伝えられていた。
ある部族では、実際に利用されていた。
そして、さらに時が過ぎ聖職者と弟子がそれらの部族を訪ね本来の意義を指摘した。
その際の各部族の対応が大変面白い。
現実は、到底因果律で説明できるような単純な代物ではない。
日常世界のあらゆる時、場所に不可視の世界(神性)が浸透しているのに気づかないのは、知っているとする執着による固定化した見方、つまり思い込みであるということである。
スーフィズムは、自我のベールが完全に消滅したとき、神的な直観知が生じる。つまり、私性(自我)は隠れて神性が顕れる。という教えである。
私性が顕れているときは神性が隠れている。(二択ではない)
スーフィズムには複眼の士という言葉がある。
イスラムの伝統的手法として、神秘的な内容を物語の形式で表わすということであるが短編であるためとっつき易い。
解読されるのを待っている。正解などない。その人の思い込みによっていかようにも採れるのだから。