劇場公開時は、『キック・アス』のオッサン版か・・・と思ってスルーしてしまったが、やっぱり面白そうなので、DVDリリースをきっかけに鑑賞。そして、実はこれは「安易に笑えない」映画だと気付いた。
さえない小太りの中年フランク(レイン・ウィルソン)は、かつて薬物依存症だった妻のサラ(リヴ・タイラー)を、イカレたドラッグディーラーのジョック(ケヴィン・ベーコン)に寝取られてしまう。フランクは神の啓示を得て、お手製のコスチュームで即席ヒーロー「クリムゾンボルト」に変身。街の悪者退治を始めるが、何かがズレているのか、彼はただの「変質者」扱い。やがて押しかけ相棒のリビー(エレン・ペイジ)も「ボルティ」として加わり、妻を取り戻すため、いよいよ敵の本拠地に乗り込むのだが・・・。
『キック・アス』が公開された時、少女(ヒット・ガール)に人殺しをさせる事に対する論議が起こったが、それは映画の中のことなので、ムキになる話ではない、というのが筆者の見解だった。ところがこの映画は、表面的に『キック・アス』に似ているようで、実は根本的に違う事に気付かされる。
ダメな主人公が覆面ヒーローになろうとするも、うまくいかず、様々な試練を乗り越えて・・・という展開はほとんど同じながら、本作の主人公フランクは、ヒーローに対する憧れも、信念もない。何だかよくわからない幻覚(頭をエイリアンに開頭され、光り輝く指に脳を触られる)を視て、それを神の啓示と受け止め、「クリムゾンボルト」に扮装するのだが、そもそもヒーローがどういうものか判らないので、コミックブック店の店員リビー(ボルティになる女性)にアドバイスを受けたり、悪人退治と言いつつも、被害者まで巻き込んでケガさせてしまったり、列に割り込んだくらいで、頭をレンチでカチ割ったりと、「やりすぎ」感が強い。レンチで殴る、という設定もかなりダーティーだ。
この映画のヒーローが振るう正義の鉄拳は、見ていて居心地が悪い。リアルに暴力的で痛いのだ。主人公のダメ男ぶりも痛すぎて、笑えそうな一歩手前で阻んでいる「笑えない」何かがこの映画にはあり、それは明らかに監督がそう意図して作っているのだ。ほとんど手持ちカメラで、手持ちにする必要のない室内の会話シーンまで、ひっきりなしに微妙にカメラが揺れていて、何とも落ちつかない印象を全編にわたって感じさせる。
そして、押しかけ女房のごときリビーが相棒になって、それはいや増す事になる。このリビーことボルティが実にクレイジーなビッチで、何を考えているのか全く判らない(苦笑)!主人公すら引いてしまう暴走っぷりで、車に鍵で傷をつけただけの(もちろん悪いことではありますが)若者を、殺す一歩手前までボコボコにしたり、敵の敷地内なのに大声上げて格闘したり、いきなり主人公にのしかかって「食って」しまう、狂気と紙一重のエロっぷりは面白いのだが、結局最後は銃器を大量に携えて2人で「殴りこみ」・・・という方法も、明らかに暴力を観客に意識させようとしている。
そう、この映画の暴力は、ちっともスタイリッシュではないのだ。
『キック・アス』は、何だかんだ言っても、主人公の若者の成長物語になっているし、アクションがスタイリッシュだ。暴力的である前に、「見世物」としてのカッコ良さが上回っているし、キャラクターショウとして成立している。
しかし、本作『SUPER』は、正義の名の下に振るわれる暴力を、フィルターを外してリアルに描いたらどうなるのか・・・というテーマに挑戦した作品のように思える。生の人間の物語、という感じで非常に重い。
ラストもスッキリするハッピーエンドとは言い切れず、ポジティブに解釈するか、ネガティブに解釈するかで意味合いが全く変わってしまう。筆者は、ポジティブに解釈したいと思いながらも、何かとても切ないものを感じずにはいられなかった。
本作は、キリスト教的な色合いも強く、それがこの映画の「暴力」にたいするスタンス、また「善意の押し付け」(つまり、自己犠牲の美徳のようなこと)的な居心地の悪さを感じさせる要因になっている気がする。ラストで、主人公は本当に幸せな気分なのだろうか?実は、「自分は幸せ」だと思い込もうとしているだけではないだろうか?という疑問が心のどこかに引っかかってしまうのである。
本当は「リヴ・タイラーのコスプレ姿も観たかった!」みたいなレビューを書きたかったのだが、予想外に色々と考えさせられた映画だった。
しかしエレン・ペイジ演じるボルティのエロっぽさは中々良かった!