日本以上に激烈な競争社会の圧力が掛り、「格差社会」となっている韓国。
本作が、そんな社会で埋没していく「敗者」に対する応援歌という位置にあるというのは、あまりに狙いがチープかもしれないが、「チープな狙い」をきちんと描ける映画は、やはり一級である。
題材は韓国プロ野球黎明期の実在の球団と実在の人物である。
明らかに時代が違う二人、実在の「カム・サヨン」が見た夢と映画の「スーパースター カム・サヨン」が見た夢は果たして重なるのか。特典ディスクに登場する本物の「カム・サヨン」の照れた佇まいからは伺いしれない。しかし、そんな野暮な問いはどうでもいいだろう。
なぜなら本作の「癒し」は完成しているのだから。ただ「惜しい」ことに、「勇気を与える」までは足りてない。
その原因は、後半の冗長な「いかにも」という演出で、監督は「結果の必然」を描いてしまっているからかもしれない。逆にいうと「カン・サヨンの努力=実力」を映画は描ききれていないのだ。
「努力しないものの夢」や「実力の足りないものの夢」を「夢想」という。
だが、「夢想」は時として人間を「幸福」にする。言うまでも無く、それは、自分の周囲つまりは「世間があまりにせちがらい」時である。そんな時に人間は特に「癒し」を渇望するのだ。
そういうわけで本作は、今の日本人にも十分に「届く」韓国映画ではないだろうか。