97年発表の29作目。ジャケに写っているのは実はサーフボードです。作品のイメージがサーフィンということなのですが、もっと観念的で神秘的なサーファーのイメージになります。
それは“時空のサーファー”。つまり時を越えてゆく概念なんですね。ユーミンは今作を作る上で“スユア”という言葉と出会い、時空をタイムスリップするコンセプトを固めてゆきます。
スユアとは古代マヤ語の「時を超えてゆく波」。マヤ人はその波に乗ったりくぐったりすることで、過去や未来へと行き来できるというイメージを持っていたそうです。
一方彼女にとって、時空をサーフィンするというのは、精神的な姿勢を表しており、自分が望めば青春時代はいつでも戻れるという概念です。そんなコンセプトの元、今作の物語たちは展開してゆきます。
1「セイレーン」の演奏の心地よさは、水の柱に包まれながらボードが進んでゆき、時を潜りぬけてゆく当にそんな感じですね。この1曲目の波をくぐりぬけると、早速過去を見つめる物語の始まりです。
実は1「セイレーン」から4「きみなき世界」までその歌詞はかなり内省的でして、主人公自身の傷心の記憶に対するつぶやきです。いなくなった相手に対しひたすら語りかける描写たち。
これは、失恋した人なら自身の体験と重ねたくなる世界観になるかと感じます。主人公が普段誰にも見せない心が描かれていますので。精神的な決着をつけようとするそのことばたちは、リアルな力を覚えます。
一方明るい曲の5〜7は若々しく、青春のエネルギッシュなページのよう。
そして注目は8「時のカンツォーネ」。83年に原田知世に提供し自らも歌った「時をかける少女」の助詞などを修正し、全く異なる旋律を付けてあります。ほぼ新しい曲であり、世界観は当に今作の文脈です。
先ず、コード進行が原曲の若々しさと比べ、不思議なレトロ感があり、更にサビがフラットして不思議な浮遊感を帯びています。それらユーミンの施した魔法は、当に今の座標軸からの視線を感じさせました。
原曲の青春まっただ中なメロディのままだと歌詞はあてはまっても、ミドル・エイジから青春に戻る今作コンセプトとは違ってくるかもしれません。デザインを変えたことで見事に3からの文脈になり、
作品に一貫性をもたらしていたと思います。尚、この曲は3「夢の中で ~We are not alone,forever」と同様97年「時をかける少女」主題歌です。
9「Woman」も心の奥の岸辺でさまようヒロインが描かれ、前半曲からの世界観がここで帰結へ向かおうとしています。曲調も決して前半の黄昏た感じではなく、力強さが宿っているんです。
因みにこの曲は、薬師丸ひろ子に提供した「Woman〜Wの悲劇」とは別物です。
終曲10「Saint of Love」。この落ち着きはクライマックスに相応しい、ヒロインの心境を伝えます。結局、自分の中で求めても求めても手繰り寄せられなかった彼に対し、最後のことばをかけるよう。
或いはそのことに葛藤してきた自身に対し、つけられるはずのない決着をしかし静かに下さんと、正対する姿が見えてきます。それはことばやヴォーカルだけじゃなく、
それらが語らない行間を、メロディやサウンドが補完しているから感じられる点だと言えます。1曲が総合的に表現されているのです。
特にヒロインのことばが終わった後にゴスペル・コーラスが登場しますが、これが構図的にも精神性の表現としても、何か非常に美しいものを感じさせます。
主題歌は3が97年映画「時をかける少女」、CMソングは5「パーティへ行こう」が97年苗場プリンスホテル。3はシングルのC/W収録のものと比べ一部歌詞が変わっています。
サーフボードのサイケなデザインも、ライナーを開きよく見てみると、今回のコンセプトがよく表せているなあと感じます。