いろんなことを経験すると、これまで見えていなかったことも、案外見えてくるものですね。3.11、原発事故、計画停電を通過した後で見直してみると、「それほど大したことねえなあ」なんて思っていたこの映画も、これでなかなか尖鋭な映画だったことに気づいた次第です。
だいたい日本を舞台にした外国映画にはいつも違和感を覚えるものですが、それは人物の立ち居振る舞いであったり風俗描写であったりに、作者自身の「異国文化に対する浅薄な理解」や「人種的違和感」が垣間見えてしまうからでしょう。
違和感については、登場人物だけではなく、映し出される風景についても同様ですが、まあそれはお互い様で、ATG映画「変奏曲」に映し出されるヨーロッパの街並みが、どうにも東京の原宿あたりの風景に見えてしまったり(撮影は浅井慎平)、黒澤さんの「デルス・ウザーラ」のシベリアの森林が、長野県かどこかの山の森のように小ぶりに見えてしまうように、結局は画面作り一つとっても、作者の生まれ育った環境(見慣れた光景)が色濃く反映してしまうからだと思われます。
その点では、この映画に出てくる東京の風景には、意外なほどに違和感を感じません。
ここに描かれる夜の東京は、まさに「光の洪水」。いや、「光」などと云った代物ではなく、ただの照明、電気の無駄遣い。何もかもを明るく照らしだすことが文明の証しであるとする、甚だしき勘違い。思えば東京新宿歌舞伎町を舞台にした「エンター・ザ・ボイド」も同様で、海外のそれなりに才能のある映画人の目を通して見ると、日本の街というのは、電気をムチャクチャ使いまくっている異様な空間、というイメージになるのでしょう。この映画に違和感を覚えなかったのも、作者がこの夜景を通して、現代日本の本質を的確にとらえていたからだ、と思います。まさに、バベルの塔。
今後の日本のエネルギー政策、電力事情がどのようになっていくのか、またどうするべきなのかについては、いろいろと意見も分かれるでしょうが、こんなキラキラのケバい夜景だけは、もう終わりにしてもらいたいですね。世界の恥です。