フランスの革命思想家・映画作家が1967年に出版した書物。
まず最初に、この本はレビューという行為を拒む一冊だ。221のテーゼでまとめられた本書を読んで「凄い! カッコいい!」と思って賞賛し、ほめ言葉を送っているだけだと、「プロ・シチュ」と何も変わらない。この本は、読んだ後に実践を要求する、そこでこの書が完結する。だから、レビューを書いて、素晴らしい、というだけの立場はこの書物自体に弾劾される。そうなると、本書は実践されるか、無視されるかになってしまう。きっと、こういう本は各自が何かの縁で出会い、発見されていくものなのだろう。現在のメディアでは、最も流通されにくい類の本なのだろう。私の場合は知り合いの書棚にあって借りて読んだのだが、そんなことでもないと出会わない本なのではないか。しかし、この本の内容を考えると、今の世界で無視されるにはあまりにももったいない書なので、「プロ・シチュ」に堕したとしてもここに書いておきます。
形式に就いては、全体で9つの章に分かれ、全部で221のアフォリズム形式の「テーゼ」によって形成されている。巻末に訳者解題、書誌、ギー・ドゥボール略年譜が付いている。本文において著者は、マルクスをはじめとした批判理論を転用し、著者が「スペクタクル」と名づけた現象を浮かび上がらせる。ある程度文体は抽象的だが、「ソーカル事件」で指摘・風刺されたような空虚な言説ではない。中でもマルクスから継承した、歴史の主体としての人間という自己規定がスペクタクルの社会を相対化する基盤を与える、とする認識は、私たちが奪われ続けている、世界に対する立場を思い出させてくれるものだ。その内容は2007年の我々にとって、例えば10年前よりはるかに解りやすさ、現実味を増している。これほど、今見えている世界と齟齬のない批判理論を読んだことがない。そして、訳者解題にあるように、本書の理論は実践された。
危険で啓蒙的な内容を、40年経っても少しも損ねていない一冊。