ドゥルーズの数ある書物のなかで、自身の独自の哲学的立場と、その哲学史的凄みと、さらには読者への教育的配慮とが、絶妙に結晶しているのが、この小さなスピノザ論だと思われる。しかも訳が見事なので、安心して読める。
まず第一章・二章では、的を得たスピノザ解釈が大胆に示され、教育的配慮の行き届いた最上質のスピノザ入門となっている。スピノザ入門という点で見れば、最初の三つの章を読むだけでもすでに十分にこの書物の意味があるだろう。
だがなんといっても本書の真髄は、その第四章と第五章にある。この部分は一転して超難解なのだが、哲学史研究者としてのドゥルーズの本領がいかんなく発揮されており、凄みと深みがある。もっとも、かなり専門的なスピノザの知識がないと、なかなか味わいつくすことは難しく、我々普通の読者としては、四章・五章は読み飛ばしても差し支えないと思われる。
さらに本書が素晴らしいのは、その最終章である。ドゥルーズはこの章では、スピノザ入門でもスピノザ研究でもなく、スピノザにインスパイアされた自らの哲学を展開してみせてくれる。といっても何か小難しい理論が述べられるわけではなく、読者は軽いテンポの文章に誘われるままに思考の運動へと連れ込まれる。ドゥルーズはスピノザ哲学に息吹を与え、きわめて新鮮なかたちでこの哲学史の古典をノリノリでライブ演奏してみせるのだ。
「エチカ(倫理学)=エソロジー(動物行動学)」という大胆な等式を提示してみせる本章は、内容的には『千のプラトー』の第十プラトーのなかにある「あるスピノザ主義者の思い出」と重なっている。だが本章のほうがシンプルで見通しがよく書かれているので、とても読みやすい。この文章はおそらくドゥルーズ自身の哲学への最高の入門となるのではなかろうか。
このように、本書はドゥルーズがもつ哲学史研究の重厚感と、哲学教師としての一面と、自身の斬新な哲学的スタイルとが、すべて一書に盛り込まれているという点で、また訳もよく手ごろな文庫本であるという点でも、最高のスピノザ論であり、稀有の哲学書であり、また格好のドゥルーズ入門書なのだ。