タイトルよりも副題に興味を惹かれて読んだ。本書は新しい運動の芽生えに期待を込めた現現代史でもある。
80年代を前史に据えるここ20年間の分析には感心させられるものが多々ある。特にインターネットと携帯電話によって、日本全体が山谷のような「寄せ場」になったとか、非正規労働者の増加は、ポスト・フォーディズムの主流産業になった情報関連産業市場の、個人のアイディアを100%買う、といった労働形態が全産業に拡大したものという分析には鋭いものを感じる。
しかし、現在の閉塞状況を打ち破る方法が、ストリートに集う人々の政治心情をこえた緩やかな連帯に中に存在する、という記述になると、何処かで聞いたことがあるなあと思ってしまう。60年安保における「声なき声」、ベトナム戦争時の「ベ平連」、大学闘争時の「全共闘」など緩やかな連帯が新しい運動形態として一時もてはやされながら消え去っていったことを思い出すのだ。
著者は階級的思考にただならぬ嫌悪感を持っているようだ。赤木智弘や雨宮処凛をその面から批判する。しかし、ストリートの思想は両義的である。中国の若者によるナショナリズムに突き動かされた街頭デモはつい先ほどのことであるし、歴史的にも、日露戦争の講和条約内容に反撥する民衆の大暴動など枚挙に暇がない。今はおとなしく路上にいる日本の若者もその主張が聞き入れられない時、ついには「暴徒化」しないとは言い切れない。無思想の行動が社会を変える起爆剤になりうるか。その一方に何でも「風俗化」してしまう強力なマスメディアもあるなかで、著者のいう「コイン」の裏側の思想をさらに深めることが重要であるように思える。