ジョブズ氏の逝去から20日ほどして、マッキントッシュの雑誌による数冊の追悼特集ムックが平積みされたPC雑誌コーナーから離れた、ビジネス雑誌のコーナーに置かれていた。
マック雑誌系のムックのテクノロジーとデザイン回想の熱さに比べ、断片的ながら、企業家、経営者、技術者、社会学者、科学者が冷静に言葉を寄せている。ジョブズの成し遂げたことの意味を多層的に振り返るだけでなく、1980年前後のmicro computer(CPU)の具体的道具化とiPhoneまでの途方もない情報技術の発達の社会文化的な意味が伝わってくる。
たぶん、このムックは、ジョブズ氏が亡くなって、はじめてジョブズを知った中高年のサラリーマンの方々が手にしたであろうから、編集の方針は間違っていなかったと思う。
過大に賛美する人もいれば、切り貼りフォトショップで、マイルス・デイビスやサンタナのジャケットをデザインし尽くしていた横尾忠則のように、時々寄り道する道具の一つ似すぎないとの発言を載せ、また長年彼をフォローしてきたジャーナリスト、ケイン・岩谷ゆかり氏による世界中のショップでの追悼の集まりが起こった事への違和感を紹介したりしていて、かえってそうした発言がジョブズ氏を立体的に浮き上がらせている。
このムックに納められた見たことのなかった写真の中では、
マックのアイコンをデザインした天才的美術家で社員であったスーザン・ケアと小綺麗に姿で立ち話する両者の姿、
綺麗な妻と庭でくつろぐ彼の姿、
青年期に瞑想に打ち込んでいたときの部屋の中のポートレイトが印象的だった。
他の記事で音楽雑誌ロッキング・オンの共同創業者の奇妙きわまりない、ロック・ミュージック(ビートルズの成功)と対比する主題の記事に反して、
大切なもの以外は捨ててしまった彼の瞑想部屋に立てかけられている多くないアナログ・アルバムの手前に見えるものは、何と、中流アメリカ人の価値観を見事に楽曲化したカーペンターズのアルバムである。
興味深いジョブズ氏の親日ぶりは、各所に紹介されているが、このムックで最大の発見は、パロアルトの寿司屋「陣匠」職人の匿名証言で、彼の大好物がここの「鍋焼きうどん」と「さばの握り」であったことを初めて知り、つくづく渋い人だと思った。
それ以来、関東炊きでうまくないが藤沢のそば屋で鍋焼きうどんを毎週食べ、近所の寿司屋で本人を真似て、さばの握りを4貫たべる日が続いている。
気になったのは、i-modeをプロデュースした元リクルートの編集者、松永真理氏が、彼は何かを発明したわけでなく、その時の最良のものを最適に配置した「編集」という活動だったと確認を求めている部分。最近、技術経営や思想の世界で編集という言葉が使われているのは伝え聞くが、日本語の語感を重ねて読むと、その程度のものではないのではないかと素人は思う。
最大のミスキャストは、前述したとおり、狭い音楽観に固執し、奇怪な周辺用語を多用して、意味不明な評論を続けるロッキング・オン出身者に、文化論としてのジョブズを書かせてしまったこと。唯一の汚点である。
受け取ったアエラの編集者もそのことは分かりつつ、スケジュールの都合で差し替えできずに掲載してしまったのだと考えたい。
マック系雑誌のムックも眺めたが、非常に底の浅い洞察しか出来ていないと思った。