内容紹介
スケートボーディングは身体による建築批評であり、新たな都市空間の創造である--一見、子どもの遊びと思われがちなスケートボーディングが、じつは、現代建築の資本主義的性格への批判であり、飼いならされた、陳腐化した日常生活への抵抗であり、それらに代わる新たな生き方としての「カウンターカルチャー」であることを、当のスケートボーダーたちの経験、彼らの身体と肉声をとおして鮮やかに描き出した独創的な作品です。スケートボーディングの進化、その躍動する批評性を語る数々の伝説的な名写真も本書の大きな魅力、すでに10を超える国々で翻訳・出版されています。
内容(「BOOK」データベースより)
スケートボーディングは躍動する身体による建築批判であり、都市空間の再創造である。すでに10ヶ国を超える国々で翻訳紹介された話題作。
内容(「MARC」データベースより)
スケートボーディングが、現代建築の資本主義的性格への批判であり、陳腐化した日常生活への抵抗であり、生き方としての「カウンターカルチャー」であることを、スケートボーダーたちの身体と肉声をとおして描き出す。
著者について
イアン・ボーデン(Iain Borden)
イギリス生まれの建築史家。ロンドン大学(UCL)バートレット建築学校教授・同校ディレクター。UCLAおよびUCL大学院卒業。本書の他にThe unknown City:Contesting Architecture and Social Spaceなど多数の著書や論文があり、建造物という範疇を超えた建築史を切り開いている。
イギリス生まれの建築史家。ロンドン大学(UCL)バートレット建築学校教授・同校ディレクター。UCLAおよびUCL大学院卒業。本書の他にThe unknown City:Contesting Architecture and Social Spaceなど多数の著書や論文があり、建造物という範疇を超えた建築史を切り開いている。
齋藤 雅子 翻訳家
中川 美穂 ロンドン大学(UCL)バートレット建築学校博士課程在籍
矢部 恒彦 法政大学社会学部助教授
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
ボーデン,イアン
イギリス生まれの建築史家。ロンドン大学(UCL)大学院バートレット建築学校教授・同校ディレクター。UCLAおよびUCL大学院卒業
齋藤 雅子
翻訳業。東京工業大学大学院(建築史)、ロンドン大学(UCL)大学院(社会人類学)修了。身体表現と空間との関係について関連書籍の翻訳とともに考察をおこなっている
中川 美穂
ロンドン大学(UCL)大学院バートレット建築学校博士課程(建築理論)在学中。東京工業大学卒、ロンドン大学(UCL)大学院バートレット建築学校修士(都市デザイン)首席卒業。米国建築史家協会学生賞受賞。専門は空間理論。アニメ・映画の空間を分析
矢部 恒彦
博士(工学)。法政大学助教授。多摩美術大学、東京工業大学大学院、千葉大学大学院(建築・都市計画)卒業。専門は都市景観論。スケボーなど、街なかのポピュラー文化を調査研究(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
イギリス生まれの建築史家。ロンドン大学(UCL)大学院バートレット建築学校教授・同校ディレクター。UCLAおよびUCL大学院卒業
齋藤 雅子
翻訳業。東京工業大学大学院(建築史)、ロンドン大学(UCL)大学院(社会人類学)修了。身体表現と空間との関係について関連書籍の翻訳とともに考察をおこなっている
中川 美穂
ロンドン大学(UCL)大学院バートレット建築学校博士課程(建築理論)在学中。東京工業大学卒、ロンドン大学(UCL)大学院バートレット建築学校修士(都市デザイン)首席卒業。米国建築史家協会学生賞受賞。専門は空間理論。アニメ・映画の空間を分析
矢部 恒彦
博士(工学)。法政大学助教授。多摩美術大学、東京工業大学大学院、千葉大学大学院(建築・都市計画)卒業。専門は都市景観論。スケボーなど、街なかのポピュラー文化を調査研究(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
抜粋
スケートボーディングは地域的{ローカル}であって、基本的にストリートのミクロ空間と関わるものでありながら、同時に全世界に広まって増殖している行為でもあり、世界中の何千万もの人々がおこなっている。
それは現代の街の物的な建築に呼びかけるが、今ひとつの別の対象としてではなく、動的{ダイナミック}な存在として応答する。体系的にはほとんど何も述べないが、並外れた広がりをもつ言明と意味を無言のうちに提示する。空間を生み出すが、それだけではなく時間と自己をも生み出す。
スケートボーディングは絶えず抑圧され規制されてきたが、拒否的な破壊によってではなく、創造性と欲望の生産によって対抗する。歴史をもつが、それには無頓着であって、現在とすぐ未来の即時性を好む。道具(スケートボード)を必要とするが、それは身体と一体化される。大いに努力が必要だが、交換のための商品は何も生産しない。高度に視覚的だが、単なる映像のスペクタクルに堕すことは拒絶する。郊外で始まったが、都市の葛藤の中核であるダウンタウンにやって来た。
子供の遊びのように見られるが、多くのスケートボーダーにとって、これは、完結した、もう一つの生き方に他ならない。したがって、スケートボーディングは、物としての建築ではなく、空間・時間・社会的存在の生産としての建築なのである。
それは現代の街の物的な建築に呼びかけるが、今ひとつの別の対象としてではなく、動的{ダイナミック}な存在として応答する。体系的にはほとんど何も述べないが、並外れた広がりをもつ言明と意味を無言のうちに提示する。空間を生み出すが、それだけではなく時間と自己をも生み出す。
スケートボーディングは絶えず抑圧され規制されてきたが、拒否的な破壊によってではなく、創造性と欲望の生産によって対抗する。歴史をもつが、それには無頓着であって、現在とすぐ未来の即時性を好む。道具(スケートボード)を必要とするが、それは身体と一体化される。大いに努力が必要だが、交換のための商品は何も生産しない。高度に視覚的だが、単なる映像のスペクタクルに堕すことは拒絶する。郊外で始まったが、都市の葛藤の中核であるダウンタウンにやって来た。
子供の遊びのように見られるが、多くのスケートボーダーにとって、これは、完結した、もう一つの生き方に他ならない。したがって、スケートボーディングは、物としての建築ではなく、空間・時間・社会的存在の生産としての建築なのである。