下着とはいったい何なのか。なぜ我々は下着をつけないとならないと考えるのか。そしてもしつけな
かったとして、なぜにそれを恥ずかしいと思うようになったのか。下着とその装飾、下着を着る文化
について社会学的に考察している本書『スカートの下の劇場』は、上野千鶴子の主張の一冊と呼ん
で差支えないだろう。
エッセイ調で雑多にいろいろなことを書いているので統一的な主張は指摘しにくいが、本書の主論
のひとつは、もともとイヤらしかったからカント(哲学者じゃないよ、詳しくはお父さんとお母さんに聞
いてみよう)が隠されるようになった、わけではなく、むしろ事態は逆で、性器を隠しつつもそれを象
徴することによって、向こう側に淫靡なものが控えているという観念とエロティシズムを増幅させると
いう逆説的なプロセスだ。ただこのこと自体は、バタイユが『
エロティシズム』などで禁忌とその侵犯
のメカニズムとしてすでに言っていることなので、たぶんそういうものなのだろなーというところはある。
それよか、母親が子供の下着の管理を通して子どもの性をも管理しているという、さしづめフーコー
の論じたバイオポリティクスのような話であり、なるほどたしかに僕自身も大学に進学して上京する
までは自分の下着に頓着がなく、親の買ってくるものをそのまま使っていたという記憶がある。そし
て、その管理は結婚と同時に妻へと移行するのだ。
上野氏の本といえば、序文やあとがきでさく裂する「自画自賛」であり、本書のなかでも読者をちょい
ちょいイラッとさせる独特の節回しのそれが展開している。こちらも見もの。ただ、日本での下着文化
とそれをめぐる羞恥心の変遷をさらに詳細に知りたければ、井上章一『
パンツが見える。』があり、
そちらを参照されたい。