内容紹介
クオリアのような哲学者の甘い夢が、「意識の科学」の進展を阻害する!
第一人者による痛快な批判と新たな展開。
~以下、「訳者あとがき」より抜粋~
本書を読むにあたって若干の提案をしておきたい。
デネットの哲学的なフラストレーションにつきあう覚悟がある読者は、第1章から読み
始めることを勧めたい。第1章では、デネットの哲学的な方法と対抗する人々とのアプロ
ーチの差、すなわち対立点が明確にされながら議論が展開される。しかし、その議論は、
デネットが批判する一部の哲学者が「ゾンビ」と名づけるものについての思考実験である
ので、さまざまな工夫にもかかわらず、議論はけっしてわかりやすくない。結論は、その
ようなゾンビのようなものを想定させるゾンビ感覚(Zombic hunch)が虚妄であるという
ことであり、また本書全体のメッセージもそこにあるが、そのような端的な結論ではなく、
時代を問わずにゾンビ感覚がなぜ哲学者に蔓延し、さまざまに受け入れがたい意識の哲学
を生み出してきたかを明らかにする過程にこの章の本領はあるといってよいだろう。
デネットの批判の本体により興味を持つ読者は、第1章を飛ばして、第2章から読み始
めてもよい。デネットは第5章までの四章を費やして、受け入れがたい意識の哲学の話題
の中で現代的に注意するべき主観的な内在的性質としての「クオリア」という話題につい
て詳述し、かつ、断罪する。この議論の過程でデネットは、まず論争の相手を特定し(第
2章)、主観性、クオリアというような問題の展開の方法が、種を明かさないステージマジ
ックの悪質な手法と同じであるという指摘を行ない(第3章)、さらに、変化盲、相貌失認
とカプグラス症候群との関係を取り上げて思考実験的にその虚妄性を解明し(第4章)、ま
た、「ロボメアリー」という伝統的にクオリアの位置づけを明確にした思考実験を取り上げ
て検討を加える(第5章)。第3章は、ここまで言っていいのかと思わせるほどの個人批判
が行われているが、しかし、なかなか楽しい。
第6章から第8章までは、多草稿モデルから脳内名声理論へ展開したデネットの意識の
「科学」の「構想」が語られる。「科学」であるというのは、いったんクオリアや主観性の
呪縛から脱却したあとでは、意識はデネットのいうヘテロ現象学の方法論によって科学的
に解明される対象となるからである。一方では当事者の報告を参照しつつ、他方では脳科
学的事実を吟味して意識にかかわる現象を説明する理論を与えるという意味での意識の科
学が話題になる。この三つの章において、語り口はより建設的になり平明、具体的であり、
この内容の評価は読者と、また、将来の科学の発展にゆだねるべきであろう。
第一人者による痛快な批判と新たな展開。
~以下、「訳者あとがき」より抜粋~
本書を読むにあたって若干の提案をしておきたい。
デネットの哲学的なフラストレーションにつきあう覚悟がある読者は、第1章から読み
始めることを勧めたい。第1章では、デネットの哲学的な方法と対抗する人々とのアプロ
ーチの差、すなわち対立点が明確にされながら議論が展開される。しかし、その議論は、
デネットが批判する一部の哲学者が「ゾンビ」と名づけるものについての思考実験である
ので、さまざまな工夫にもかかわらず、議論はけっしてわかりやすくない。結論は、その
ようなゾンビのようなものを想定させるゾンビ感覚(Zombic hunch)が虚妄であるという
ことであり、また本書全体のメッセージもそこにあるが、そのような端的な結論ではなく、
時代を問わずにゾンビ感覚がなぜ哲学者に蔓延し、さまざまに受け入れがたい意識の哲学
を生み出してきたかを明らかにする過程にこの章の本領はあるといってよいだろう。
デネットの批判の本体により興味を持つ読者は、第1章を飛ばして、第2章から読み始
めてもよい。デネットは第5章までの四章を費やして、受け入れがたい意識の哲学の話題
の中で現代的に注意するべき主観的な内在的性質としての「クオリア」という話題につい
て詳述し、かつ、断罪する。この議論の過程でデネットは、まず論争の相手を特定し(第
2章)、主観性、クオリアというような問題の展開の方法が、種を明かさないステージマジ
ックの悪質な手法と同じであるという指摘を行ない(第3章)、さらに、変化盲、相貌失認
とカプグラス症候群との関係を取り上げて思考実験的にその虚妄性を解明し(第4章)、ま
た、「ロボメアリー」という伝統的にクオリアの位置づけを明確にした思考実験を取り上げ
て検討を加える(第5章)。第3章は、ここまで言っていいのかと思わせるほどの個人批判
が行われているが、しかし、なかなか楽しい。
第6章から第8章までは、多草稿モデルから脳内名声理論へ展開したデネットの意識の
「科学」の「構想」が語られる。「科学」であるというのは、いったんクオリアや主観性の
呪縛から脱却したあとでは、意識はデネットのいうヘテロ現象学の方法論によって科学的
に解明される対象となるからである。一方では当事者の報告を参照しつつ、他方では脳科
学的事実を吟味して意識にかかわる現象を説明する理論を与えるという意味での意識の科
学が話題になる。この三つの章において、語り口はより建設的になり平明、具体的であり、
この内容の評価は読者と、また、将来の科学の発展にゆだねるべきであろう。
内容(「BOOK」データベースより)
クオリアのような哲学者の甘い夢が意識の科学を妨害する!第一人者による痛快な批判と新たな展開。
著者について
<著者紹介>
ダニエル・C・デネット(Daniel. C. Dennett)
1942年生まれ。ハーバード大学卒業、オックスフォード大学大学院にて博士号取得。タフ
ツ大学教授、同認知科学研究センター所長。著書に、『ダーウィンの危険な思想』『解明さ
れる意識』(以上、青土社)、『心はどこにあるのか』(草思社)、『志向姿勢の哲学』(白揚社)、
『自由は進化する』(NTT出版)など多数。
<訳者紹介>
土屋俊(つちや・しゅん)
1952年東京生まれ。東京大学教養学部卒業、同大学院人文科学研究科博士課程(哲学専攻)
単位取得退学。現在千葉大学文学部教授。著書に、『心の科学は可能か』(東京大学出版会)、
『真の包括的な言語の科学』、『なぜ言語があるのか』、『デジタル社会の迷いと希望』(以上、
くろしお出版)、『情報倫理の構築』(共編共著・丸善)、他。
土屋希和子(つちや・きわこ)
1952年山形生まれ。津田塾大学卒業。慶応大学大学院法学研究科博士課程単位取得退学。
翻訳家。翻訳書に『ノーム・チョムスキー‐学問と政治‐』(共訳・産業図書)、『モルトウ
イスキー・コンパニオン』(小学館)、『モルトウイスキー・コンパニオン改訂版』(共訳・
小学館)、『ウイスキー・エンサイクロペディア』(共訳・小学館)、他。
ダニエル・C・デネット(Daniel. C. Dennett)
1942年生まれ。ハーバード大学卒業、オックスフォード大学大学院にて博士号取得。タフ
ツ大学教授、同認知科学研究センター所長。著書に、『ダーウィンの危険な思想』『解明さ
れる意識』(以上、青土社)、『心はどこにあるのか』(草思社)、『志向姿勢の哲学』(白揚社)、
『自由は進化する』(NTT出版)など多数。
<訳者紹介>
土屋俊(つちや・しゅん)
1952年東京生まれ。東京大学教養学部卒業、同大学院人文科学研究科博士課程(哲学専攻)
単位取得退学。現在千葉大学文学部教授。著書に、『心の科学は可能か』(東京大学出版会)、
『真の包括的な言語の科学』、『なぜ言語があるのか』、『デジタル社会の迷いと希望』(以上、
くろしお出版)、『情報倫理の構築』(共編共著・丸善)、他。
土屋希和子(つちや・きわこ)
1952年山形生まれ。津田塾大学卒業。慶応大学大学院法学研究科博士課程単位取得退学。
翻訳家。翻訳書に『ノーム・チョムスキー‐学問と政治‐』(共訳・産業図書)、『モルトウ
イスキー・コンパニオン』(小学館)、『モルトウイスキー・コンパニオン改訂版』(共訳・
小学館)、『ウイスキー・エンサイクロペディア』(共訳・小学館)、他。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
デネット,ダニエル・C.
1942年生まれ。ハーバード大学卒業、オックスフォード大学大学院にて博士号取得。タフツ大学教授、同認知科学研究センター所長
土屋 俊
1952年東京生まれ。東京大学教養学部卒業、同大学院人文科学研究科博士課程(哲学専攻)単位取得退学。現在、千葉大学文学部教授
土屋 希和子
1952年山形生まれ。津田塾大学卒業。慶應義塾大学大学院法学研究科博士課程単位取得退学。翻訳家(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1942年生まれ。ハーバード大学卒業、オックスフォード大学大学院にて博士号取得。タフツ大学教授、同認知科学研究センター所長
土屋 俊
1952年東京生まれ。東京大学教養学部卒業、同大学院人文科学研究科博士課程(哲学専攻)単位取得退学。現在、千葉大学文学部教授
土屋 希和子
1952年山形生まれ。津田塾大学卒業。慶應義塾大学大学院法学研究科博士課程単位取得退学。翻訳家(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)