タイトル通り。
この小説の肝は、「現実感」(リアリティ)ではないだろうか。
フィクションであるので、一部荒唐無稽とも言える描写も当然ある。
だが、そういった描写があって尚、この小説には妙なリアリティが、確固たる物として存在するのだ。
特定の主人公がいない、連作短編形式でテンポ良く紡がれる物語の中に登場する人物達、
そして発生する事件、その真相、それらのどれもが「ありえそうな雰囲気」を醸し出している。
無論、あくまでそえは「雰囲気」であり、実際にはどうであるかを突き詰めていけば、
噴飯物の荒唐無稽さであると断じられる事になる部分も多々あるのだろう。
だが、この小説は、そんな風に突き詰めていこうとする気を失わせる、そんな「雰囲気」に
満ち溢れている。一種の「空気」を発生させ、上等な酒を呑んだ時にそうなるように、
それを酒であると意識せずして酩酊に陥っているように、この作品は読む人間を
ぐいぐいと物語の中へと引きずり込み、酔わせていく。
筆致であったりと言った、細かい分析は、素人故にできない。
舞台装置であったりの配置の妙なのかもしれないが、その辺りも詳しい分析はできない。
だが、厳然としてこの作品には「雰囲気」がある。それだけは、実感として断言できる。
そんな「ありえそうな雰囲気」の中で「ありえない事」をやってのける、各話に登場するスパイ達が、
また揃って「カッコいい」。その誰もが、どのような困難に相対した時であろうとも、
「自分ならこの程度のことはできなければならない」という強烈なまでの自負心と、
己の中に叩き込んだスパイとしての”技術””知識”でもって切り抜けていく。
「ありえない事」をやってのけるのだから、そんな彼らも「ありえない人間」で
あり、実際にそう描かれている。
それでも、彼らは「超人」ではない。「超人」としては描かれない。
”魔王”の異名を持つ結城中佐ですら、それは変わらない。
「ありえない人間」つまりは(良い意味での?)「ヒトデナシ」ではあっても「人を超えている」ようには、
決して描かれていない。
だが、だからこそ「カッコいい」と、そう素直に思えるのだ。
だからこそ、「ありえそうな雰囲気」が生まれ、酩酊させる「空気」が生じ、
ぐいぐいと物語に引き込まれるのだ。
素人批評としては、せいぜいそんな風に「思う」のが精一杯である。
先にも述べた通り、連作短編形式で、各話には(少なくとも第一作である「ジョーカー・ゲーム」時点では)
直接の繋がりもないので、気軽に一話ずつ読み進める事も可能だ。
故に、忙しくて最近小説とか読む時間が・・・という人にもオススメできる。
・・・とはいえ、これもまた先に述べたように、グイグイと引き込まれる物語に
はまってしまえば、いつの間にか時間が経っていた、などという事になる可能性も
十分考えられるので、そこの所は要注意だ。何故なら自分がそうなったからだ(笑)。
シリーズ続刊も早速注文した。届くのが楽しみだ。