欧米の先行研究を紹介していない、文体にそぐわない不誠実な本。ケージ論や、彼のアーカイブの情報などは、ネットに溢れているのに。
・インド音楽のラーガを音列から論じることは、当たり前なのに、それを当たり前と書かず、変な概念図を持ち出し、煙に巻く。紹介はよい。しかしやるべきは、その視点にたって、自分のケージ研究を語ることだろう。ラーガに似てますね、だけじゃどうしようもない。
・実際のケージ作品の実演に関わった→じゃあ、それを考察してひとつの芸術論にしてくださいよ!
・マクルーハンのくだりなど、すでに関連が語られていることをあたかも自分が気づいたかのように書く。ケージとマクルーハンを関連づけてきれいに語ることが初めてならば、すごいですよ。でもそうじゃないでしょう。
・いわゆるケージ研究の翻訳すれば事足りるのに、それをせず、濁すために注を省き、NYPL等での自分語りをする。そこで調べた新情報から自分だけの芸術論を展開してください。ブラックマウンテンもニュースクールも、論を展開する前の段階で、満足している。それはネットで検索すればでてきます。
つまり、情報は情報として、先行研究をうまくまとめて初心者にケージの全体像を示し、それとともに、自分の独自研究を、自分語りをふくめて提示すれば、どんなレベルの読者にとっても良い本なのだ。それなのに、それがどれもきちんとできていない。先行研究は手際よく概説し、独自の考察はその間隙をつき、自分語りはドラマチックに芸術論と乗り入れさせる…ことができていません。