16世紀、戦国時代の日本、というよりもそれは中央集権に未だ至らぬ中世の日本であったが、その日本が最初に出会った西欧社会とは、ポルトガルをはじめとした大航海時代の西欧の冒険家達であった。
メキシコでの採掘が始まる以前、日本は世界でも最大の銀の産出国であった。西欧の冒険家、商人、かれらとほぼ同時にやって来たのはイエズス会の宣教師達であった。
この小説で取り上げられた7人の西欧人のうち6人はイエズス会の司祭、修道士らである。この6人、何れもよく名の知られた人物である。
ただ、小説であるからして、歴史的事実だけを羅列しても面白くも何ともない。しかもイエズス会の資料たるや、膨大なものがバチカンやローマのイエズス会本部には残っており、そしてその一部であろうが、松田毅一氏ら研究家による精緻な研究書、ド素人の私には読み切れないほどの多数の労作が出版されている。
イエズス会関係者の資料たるや、日本のマイナーな戦国武将のそれよりもよほど多いかもしれない。この分野を小説にする難しさはここにあると思う。小説家の想像力で歴史を捏造させてしまっては、確かにまずい。真面目に調べれば調べるほど、ついついこじんまりと萎縮したものとなってしまう。この作品のように。既知のことばかりである。
フロイスの日本史、これだけでもどれだけの膨大な歴史が語られていようか。フロイス、彼は信長を語る時に引き合いに出される歴史の重要証人であるが、同時に秀吉の伴天連追放令の経緯、現場にガスパール.コエリヨと共に関わり、立ち会った人物でもある。
日本におけるカトリックだけでなく西欧の文化、政治、外交、経済交流の浮き沈みに関わり、見守ってきた人物である。フロイスを語るためにはそのようなスケールの広い筆遣いが期待されよう。
小品集であるが、それでも何か消化しきれていない、勿体ないような、もっともっと、大海の彼方まで自由に羽ばたき筆を踊らせて欲しかった、そんな読後感を感じた。