オースティンを知らなくても楽しめた...これが読後の感想だ。ファンはそりゃもうパスティーシュ的な読みを十二分に楽しめるだろうことは予想が付く。知らない場合は、作中の6人の生い立ちや性格、作家との距離感、そして彼らが語る作家像、作品評...から“ジェイン・オースティン”を類推する楽しみがある。
人の打ち明け話が完全に真実を語っているということは、まれ、きわめてまれである。ふつうは何かが多少とも偽装されていたり、少しばかり間違っていたりするものだ。
これはオースティンの「エマ」から引用された作品冒頭の言葉だが、6人それぞれに偽装されたり、少しばかり間違っていたりする“オースティン”をつなぎ合わせ、読者として7番目の“オースティン”を創り上げていく作業はことのほか楽しい。思い入れたっぷりの女4人、批判的な女1人、門外漢の男1人ってバランスも絶妙で、多分この構成がオースティンの割とフラットな見取り図にもなっているのだろう。“読書”はどうしても作家と読み手の一対一の関係で捉えがちだけれど、“読書会”っていう方法論は“読書”の新たな可能性も提示している(まぁ、これは作品として良く出来ているのであって、実際の読書会は、参加者の背景が客観的に書き込まれるといった重層構造があるわけではなく空疎で平板なものになりがちだけど...)。
作中の言葉を借りれば、この作品は“ポモ的(ポストモダン的)”な、構造としての面白さがまずあるけど、それにも増して、6人それぞれの物語や数々の挿話が巧みで、なかなか唸ってしまう(特にアレグラがコリンにパクられた?一連のエピソードは秀逸!)。
6人の生い立ちや現在抱えている状況、あるいは読書会が催される各人の家庭環境、供されるお茶菓子といったディティールから、アメリカの田舎町の風俗、普通の人々の生活が透けて見えてくる点も面白かった。