ショパンという音楽家は全くユニークでオリジナルな存在である。それだけにショパンの音楽的天才を正しく理解してものを書いている人というのは意外と少ない。ここに音楽というものの奥深さがあり難しさもある。ジッドは作家でありながらその辺りの道を踏み誤っていない。「覚え書き」という控えめな書名になっているが、謙虚に過ぎる。確かにそれは断片的ではあるが、しかし音楽の専門家が体系的網羅的に書き連ねたショパン「論」と比べても、はるかにショパンの本質を正しく捉えている。少なくともそこにショパンに対する理解の不足や誤解は見受けられないし、思わず膝を打って同意したくなる主張があちこちにある。
ベートーベンの天才を理解するには音楽以外のものが必要だ。だが、ショパンは純粋な音楽であり、音楽の言葉でしか理解しえない。そこを外していくら音楽的な知識や理論を駆使したところで、そもそも音楽以外のバイアスがかかった頭ではショパンの本質には一向に近づけない。ショパンを理解するのに他の音楽家と比較することの無意味さもそこにある。ジッドはそこに気づいていた。だからシューマンをこき下ろすことでショパンを賞賛するなどという「不当」な脚注を自ら削除しようとした(もっとも、そこに書かれているシューマン評は一字一句間違ってはいないが)。
ジッドはショパンにまつわる余計な狭雑物からショパンを解き放つ。一知半解な通俗的ショパン評やアカデミックな教条的ショパン論に不満しか残らない人にとって、砂漠でオアシスに出会ったような感動を与えてくれる、かけがえの無い一冊になること間違いない。また、ジッドが深い芸術的センスと真の教養とを持ち合わせた人であることも感得できる。